2018年4月16日月曜日

雪の断章を読んだ

佐々木丸美さんの「雪の断章」を読んだ。舞台は札幌、雪。一気に読み切ってしまった。
迷子になった五歳の孤児・飛鳥は親切な青年に救われる。二年後、引き取られた家での虐めに耐えかね逃げ出した飛鳥に手を伸べ、手元に引き取ったのも、かの青年・滝杷祐也だった。飛鳥の頑なな心は、祐也や周囲の人々との交流を経て徐々に変化してゆくが…。ある毒殺事件を巡り交錯する人々の思いと、孤独な少女と青年の心の葛藤を、雪の結晶の如き繊細な筆致で描く著者の代表作。 
「BOOK」データベースより https://www.amazon.co.jp/dp/4488467040
本屋でふと手に取った一冊。普段読まないタイプの作品だった。推理小説というラベル付けがあるとどうしてもそのトリックが気になってしまいがちになってしまうことを反省した。最初の100ページですっと引き込まれていった。飛鳥が成長していく様子、心の変遷、内面のやりとり。一つ一つの言葉遣いや情景描写が飛鳥や裕也のそのときどきのあり方を鮮明に伝えてくる。

でてくる場面は少ないし、人物も多くはない。全体を通してドラマを感じるのは、やはり時間経過に伴う飛鳥の変化だろう。そして雪と詩がところどころで色とリズムを加えていく。大変美しく、切ない物語だった。

2018年4月8日日曜日

グレート・ギャツビーを読んだ

『グレート・ギャツビー』はスコット・フィッツジェラルドにより1925年に書かれた小説である。爽やかで、テンポよく、個々の出演人物のキャラクターが大いに語り、センチメンタル。

2018年にこの作品がもし日本の舞台を置き換わるならば、どういう描画になるんだろう?海沿いの広々とした邸宅というののイメージが僕にはないし、アメリカの東部と西部の土地のイメージもない。しかもこれは1925年の物語。今のニューヨーク、サンフランシスコという土地が持つ言葉のイメージとはかけ離れた手触りが伝わってくる。

冒頭と終わりの文章も好きだけど、7章の掛け合いと収束がグレート・ギャツビー全体をスリリングにしている。少し声に出してそれぞれの人物のやりとりを追ってみると、息遣いが直に感じられる。最後は滲むように締める。

2018年4月1日日曜日

老人と海を読んだ

『老人と海』はヘミングウェイの1952年の小説である。130ページ程度なのですぐに読み終えてしまう。昨日夕食の蕎麦を食べつつ読み始め、今日の朝少し読んで読み終わった。

老人と海のストーリー自体は至ってシンプルだ。箇条書きにすれば10項目もないうちに出来事は書き出せてしまう。登場人物も少ない。その題目の通り、老人と海が描き出される。静けさと、戦いと、孤独さと、暗闇。多くは語られないし、描写も細かくない。それでも1つのストーリーとして考えさせられるのは、老人のこだわりや職人観、あるいは人生観が一貫して老人の言葉に現れているからかもしれない。こうは書いたものの、実際の書かれ方は朗々と老人が考え方を語るというのとはまったくの真逆である。無言と独り言と、あるいは独り言のような語りかけの断片的な言葉しかない。

最近、なるべく昔の作品を改めて読んでいる。なぜこの作品が後世に残ったのか。人々に影響を与え続ける文章や作品というのはどういったものなのか。そうしたことをまた新たな視点で考えさせられる作品であった。