日々仕事をしていると日常の素晴らしさを感じるのです。サクサクと仕事を進めて、しっかりと成果を出していく。チームメンバーとの関わりを深める中で、自分の役割を果たして、設計をプロダクトに反映して使ってもらう。そのための基礎としてのエンジニアリングがあって、着実に成果を出していく。それは日々の屋台骨を支えていて、活動を見守っていく。
私にとっては毎日が変化に富んでいるのです。毎日コードを書いているだけに見えても、それは全く違うものです。楽器の練習をしていてただ毎日ドレミファソラシドを弾いているように見えても日々変化があるように、コードを書くことはそれだけで変化があります。求められているものが同じでも描き方が少しずつ良くなっていったり、何を作るのかの判断が変わっていたりします。何を作るかの判断というのはどのように作るかの前の段階に常にあり、どのように作るかを支配するのです。何を作るか、を丁寧にやっていくことが、翌日の変化につながります。
私は 地味な時間 が好きなのです。そしてベストはないのです。今日書いているコードはきっと1週間も経てばより良い方法が見えていることはよくあります。明日のほうが今日のコードより良いことはよくあって、それは歓迎されるべきです。だから、あまりその時点での仕事の出来を賞賛しなくてもいいし、日々少しずつ良くすることが気がついたら半年後には大きな差になっていく。そういう職業なのだと思っていますし、そう感じています。なのでどの時点においても、その瞬間ではより良い選択をしたであろうと確信を持ちつつも、次の瞬間ではまた違う可能性を検討し始めるというのが日常なのです。
可能性があるということ は脆いことだと思っているのです。エンジニアリングというのは、決定をしながら可能性を狭めていくという側面があります。より拡張性があり、安定した方向に決定をするのです。それはコードの一行一行の場合もあれば、どのような機能を作るのかという場面でもあります。決めることを、当たり前にできるということ。これが日常で、そのための準備をそれ以外の時間にするというのが仕事なのです。
なのでベストだと言われると少し違和感があるのです。でもそういったコツコツとした日々の仕事が評価されるということは嬉しいものです。チームメンバーに恵まれ、今やっていることが少なからず認められるというのは嬉しいものです。なので私自身は自分をベストだとは全然思わないけれども、そうしたある時点で切り取った何かがよかったと言ってもらえるのは嬉しく、それはプロダクトへの褒め言葉でもあります。私は私個人が褒められるより、プロダクトが褒められる方が嬉しいのです。そういう意味で、ああこの半年の動きはよかったのだなと思った金曜日の夜だったのでした。ありがとうございました。
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加筆
可能性を狭める、というと悲観的な印象があるかもしれません。これはリスクをある程度まで抑える、コントロールする、ということです。リスクはゼロにはなりません。ソフトウェアとして可用性を担保するのは当然として、事業としてこの方向性に行くか行かないか、ということを判断していくというのがここでいう可能性、に近いものです。ソフトウェアとして選択肢が多いと、リスクも増えるのです。それを予測して、どこのリスクを許容するか、ということを考えているように思います。その点で、やはりベストはないのです。
2016/04/01
お世話になった先輩の退職について徒然と書いてみる
お世話になった先輩が退職される ということでちょっと何か書いてみようかと思いPCに向かってみている。
私が今のVOYAGE GROUPに入社したのはもう4年前になる。4月から5年目となる。その時のOJTが小澤さんだった。私が入社した時にはそれなりに組織も大きくなっていて、私は新規プロジェクトの方を色々担当していた。SVNからgitに移行したりとかCI改善やったりしつつHadoopでの分析基盤作ったり・・色々やらせてもらったのが初年度だった。色々やりつつも事業との方向性を合わせながら試行錯誤していた。そんな中相談すると「まあやってみればいいんじゃん、やってみなよ」というのが常であった。
VOYAGE GROUPというのはいい意味で風通しの良い組織である。例えば仕事が終わったらすぐ帰ればいいとか、仕事は楽しいほうがいいとか、情報はなるべく共有できるものはしたほうがいいとか、そういう基本姿勢がある。私は最初のマネージャーである小澤さんからそういうスタンスを真似して、今こういうスタンスで働いているというところが多分にある。これは最初の上司(というと形式だってあれだなーとか言われそうなものだけれども)の影響をすごく受けているのかなとも思う。組織や文化というのはそうして伝えられて、そしてより強くなっていくものなのだろう。
4年間くらい事業に携わっているとそれなりに変化がある。例えば1インターネットユーザとしてもデバイスが変わり、ゲームが盛り上がり、音楽のストリーミングサービスが普通になって、チャットが当たり前になり、 当たり前のように動画を共有する。そうした変化を真に受けながらじゃあ自らの事業体を変えていく、新しいアプローチをしていくということをし続けていた。私はデータよりだったので、じゃあプラットフォームが変わっても同様に必要なアプローチはなんだったのか、取る必要のあるデータ、取らざるデータ、利用すべきデータ、発展するであろう領域とはなんだったのかというのを常に考えていたように思う。限られたコスト感の中で最大限効きそうなものは何かというのを作りながら考え続ける。そういう4年間だった。
今思うのは、考える力というのは、関わり続ければ続くほど増分が増していく、ということだ。増分が増すのだ。それは当たり前のことで、じゃあ組織としてはそれを考えられる人が増えることが最大の問題になってくる。組織として強くなるというのは倍々に影響を与えることなのである。私一人が1.5倍になるも難しいことかもしれないが、3人素晴らしいメンバーを採用して素晴らしい仕事をしてもらう方がはるかに尊く、遥かに難しく、遥かにインパクトのあることなのだというのをいつからか感じるようになった。とはいえエンジニアリングもその人一人のレバレッジというのはとてもあるもので、一概に言えるものではない。とはいえ組織としての強さというのを否応なく意識させられたというのもまた事実である。
私が大学生から社会人になるときに思っていたこととは色々変わったなあと思う。 だからこそ今一度、明日からの5年目に向けて、小澤さんが新卒の私を受け入れてくれた時のように、私もまた将来の可能性を持った子と対峙して、彼ら彼女らの何らかの一助となれればいいなと思うのである。
小澤さんお疲れ様でした。どうもありがとうございました。
私が今のVOYAGE GROUPに入社したのはもう4年前になる。4月から5年目となる。その時のOJTが小澤さんだった。私が入社した時にはそれなりに組織も大きくなっていて、私は新規プロジェクトの方を色々担当していた。SVNからgitに移行したりとかCI改善やったりしつつHadoopでの分析基盤作ったり・・色々やらせてもらったのが初年度だった。色々やりつつも事業との方向性を合わせながら試行錯誤していた。そんな中相談すると「まあやってみればいいんじゃん、やってみなよ」というのが常であった。
VOYAGE GROUPというのはいい意味で風通しの良い組織である。例えば仕事が終わったらすぐ帰ればいいとか、仕事は楽しいほうがいいとか、情報はなるべく共有できるものはしたほうがいいとか、そういう基本姿勢がある。私は最初のマネージャーである小澤さんからそういうスタンスを真似して、今こういうスタンスで働いているというところが多分にある。これは最初の上司(というと形式だってあれだなーとか言われそうなものだけれども)の影響をすごく受けているのかなとも思う。組織や文化というのはそうして伝えられて、そしてより強くなっていくものなのだろう。
4年間くらい事業に携わっているとそれなりに変化がある。例えば1インターネットユーザとしてもデバイスが変わり、ゲームが盛り上がり、音楽のストリーミングサービスが普通になって、チャットが当たり前になり、 当たり前のように動画を共有する。そうした変化を真に受けながらじゃあ自らの事業体を変えていく、新しいアプローチをしていくということをし続けていた。私はデータよりだったので、じゃあプラットフォームが変わっても同様に必要なアプローチはなんだったのか、取る必要のあるデータ、取らざるデータ、利用すべきデータ、発展するであろう領域とはなんだったのかというのを常に考えていたように思う。限られたコスト感の中で最大限効きそうなものは何かというのを作りながら考え続ける。そういう4年間だった。
今思うのは、考える力というのは、関わり続ければ続くほど増分が増していく、ということだ。増分が増すのだ。それは当たり前のことで、じゃあ組織としてはそれを考えられる人が増えることが最大の問題になってくる。組織として強くなるというのは倍々に影響を与えることなのである。私一人が1.5倍になるも難しいことかもしれないが、3人素晴らしいメンバーを採用して素晴らしい仕事をしてもらう方がはるかに尊く、遥かに難しく、遥かにインパクトのあることなのだというのをいつからか感じるようになった。とはいえエンジニアリングもその人一人のレバレッジというのはとてもあるもので、一概に言えるものではない。とはいえ組織としての強さというのを否応なく意識させられたというのもまた事実である。
私が大学生から社会人になるときに思っていたこととは色々変わったなあと思う。 だからこそ今一度、明日からの5年目に向けて、小澤さんが新卒の私を受け入れてくれた時のように、私もまた将来の可能性を持った子と対峙して、彼ら彼女らの何らかの一助となれればいいなと思うのである。
小澤さんお疲れ様でした。どうもありがとうございました。