2017年も大晦日となりました。今年も素晴らしい一年でした。
仕事について。いくつかの独立したサービス群を作りつつ、プロダクトに関する意思決定を多くした年でした。去年とは少し立場を変えつつ、内面と外面からシステムをみて決定を求められる機会が多かったものです。一年を通じて、問題を解いていました。個人ではなくてチームで問題を解くことの難しさを痛感した一年でもありました。プロダクト内外で自分の知識が増えれば増えるほど、それを背景やコンテキスト、そして私達の意思決定の理由を明確に伝えなければなりません。情報を多く持つ人ほど、そのエッセンスと自身の考えを明瞭に、正確に伝えなければなりません。
小さなチームで大きな仕事ができたでしょうか。もうインターネット広告へ携わった年数だけでみると5年9ヶ月ということになります。広告業界だけでみても様々な動きがありました。メディアと広告主とユーザー、それぞれのプレイヤーの論理と倫理、インターネット広告の時代性と継続性、経済的合理性の成り立ち、収益性は何と相反するか。そういったテーマを語り尽くせぬほどに考えた1年でした。何か言葉にならぬ感慨がここにあるのは、自身の手ではうまく今の時代に即したものがつくれていないように思えるからかもしれません。多プレイヤー環境下での力は相対的なものです。プロダクトとしてうまく形にできなかったと思える部分がいくつもあり、それは組織としての成長の余地であると考えています。
成長のスピードを上げるにはどうしたらよいのでしょう。同じ速さで動いていても、成長は止まっています。実感を上回るには、自分が想定をした枠の外に出なければなりません。新しいことをするのはわかりやすい例だと思っていました。でも最近は新しいことをすることそれ自体を刺激ではないと思うようになりました。新しさの中に今までの様式と異なる価値観を探ることで初めて、それまでの自分の様式が変わるのです。自分のやり方に自信がなければ、変化はありません。その場合はひたすら真似るしかないのです。今こうして多少なりとも自分の仕事なり考えのパターンとも言えるもの、これを変えるときに初めて変化があるのだと思います。これまでの期間は自分の型を学ぶ期間であり、きっと今は自分の型を変えていく時間になるのだろうと、今振り返って感じています。
今年は外に向けてお話する機会が少し増えました。「データ分析基盤入門」の共著と、WEB+DB PRESS Vol.102への寄稿をしました。また、PHPカンファレンスにも初めて登壇しました。ポッドキャストを始めたのも今年の7月から。ajito.fmでは多くのゲストの方々とゆっくり話す時間を持つことができ、感謝しています。ポッドキャストをするのは初めてでしたが、「聴いてますよ」と声をかけていただくことも増えて嬉しく思っています。どうもありがとうございます。
また来年も皆様にとって良い年になりますように。
2017/12/31
2017/08/22
一日生きることは、一歩進むことでありたい
今年も学生エンジニア向けインターンの季節がやってきて、数十人の学生たちとプログラミングについて話をする時期となりました。去年の今頃を振り返りながらまた、新しい知識と発想をもった子たちと話すと毎年新鮮な思いになります。
仕事をしていると様々な事が起きます。人との関わりあいのなかで起こること。他のひとの書いたコードで起きること。プラットフォームが大きな流れによって変わっていくこと。プロダクトにまつわるものごとは様々で、自分が想像もしていなかった変化がたくさん起きます。自ら起こした変化がうまく働くこともあれば、想定していなかったものごとが起きることもあります。このようにするとおそらく良くなるだろうと自分を信じて変更をし続けることで、変化を起こし続けます。こうすれば絶対にうまくいくだろうと思ったことでも、ある領域では意図しない振る舞いをすることもあります。うまくいくと大きな良いインパクトをもたらすと考えているものほど、ふとした状況の変化によって部分的にうまくいかなくなることがあります。
何か悪い部分があるなら、私たちは何かを変え、前に進むことでしかそれを変えることはできません。
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プログラミングを教えつつ、ものをつくってもらうと、私が前に失敗したのと同じような失敗が目の前で繰り返されます。ああ、その失敗は前に私もしたことがあるなと思い返します。あるものごとやあるアプローチが失敗することを知っているのは、そこを一回経験したときのみになりがちです。ある抽象を用いるとこちらはうまくいくけど、別の部分が立ち行かなくなる。じゃあうまく両方を成り立たせるにはどうしたらいいかということを、経験のあるプログラマは知っています。
経験によってしか失敗は知り得ないのでしょうか。失敗がしづらいことというのはたくさんあります。人に関すること。生活を大きく変えてしまうこと。後戻りのできないことほど、人は失敗しづらくなります。経験していないものについて、失敗したときのリスクを多めに見積もってしまいます。これでは失敗しづらいことは学びづらいという結論になります。そうではなく、人の失敗から学ぶ方法が文章であり、知見と呼ばれるものであり、それこそが教えることのメリットであると考えています。
教えることの大きな役割の一つは、経験したことのないことをパターン化し、相手に学んでもらうことなのだと最近改めて捉えなおしています。失敗したことがないものでも、過去のパターンから失敗する方法を教えることはできます。でも具体的な事例を同じように相手が経験するわけではなく、あくまで1つのケースとしてそれを捉え、抽象化し、まだ経験していないケースに適用する。学びというのはそういうものだと思います。
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「一日生きることは、一歩進むことでありたい」。湯川教授の有名な言葉にもあるように、私はこれを噛み締めています。エンジニアリングの仕事を好きであり続け、楽しみ、問題を解き続けるにはどうしたらいいか。悩む方法はいくつもあれど、どれをとっても歩みを進めるしかありません。こんなミドルウェアがでてきた。こんな言語がでてきた。こんなサービスがでてきた。いくつものアプローチや技術的な進歩とも言えるものを目にして焦りを覚えつつも、つまるところ目の前のキーボードにどんなプログラムを書くかでしかプログラマは自分の仕事を表現できないのだと思っています。いろんな人達の思想を感じて、いろんな技術の背景にある深さと狙いを見て、新しいアプローチの素晴らしさに胸を躍らせて、そしていろんな環境を噛み締めながら目の前のコードを書く。
それが毎日働くことなのだと思っています。
仕事をしていると様々な事が起きます。人との関わりあいのなかで起こること。他のひとの書いたコードで起きること。プラットフォームが大きな流れによって変わっていくこと。プロダクトにまつわるものごとは様々で、自分が想像もしていなかった変化がたくさん起きます。自ら起こした変化がうまく働くこともあれば、想定していなかったものごとが起きることもあります。このようにするとおそらく良くなるだろうと自分を信じて変更をし続けることで、変化を起こし続けます。こうすれば絶対にうまくいくだろうと思ったことでも、ある領域では意図しない振る舞いをすることもあります。うまくいくと大きな良いインパクトをもたらすと考えているものほど、ふとした状況の変化によって部分的にうまくいかなくなることがあります。
何か悪い部分があるなら、私たちは何かを変え、前に進むことでしかそれを変えることはできません。
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プログラミングを教えつつ、ものをつくってもらうと、私が前に失敗したのと同じような失敗が目の前で繰り返されます。ああ、その失敗は前に私もしたことがあるなと思い返します。あるものごとやあるアプローチが失敗することを知っているのは、そこを一回経験したときのみになりがちです。ある抽象を用いるとこちらはうまくいくけど、別の部分が立ち行かなくなる。じゃあうまく両方を成り立たせるにはどうしたらいいかということを、経験のあるプログラマは知っています。
経験によってしか失敗は知り得ないのでしょうか。失敗がしづらいことというのはたくさんあります。人に関すること。生活を大きく変えてしまうこと。後戻りのできないことほど、人は失敗しづらくなります。経験していないものについて、失敗したときのリスクを多めに見積もってしまいます。これでは失敗しづらいことは学びづらいという結論になります。そうではなく、人の失敗から学ぶ方法が文章であり、知見と呼ばれるものであり、それこそが教えることのメリットであると考えています。
教えることの大きな役割の一つは、経験したことのないことをパターン化し、相手に学んでもらうことなのだと最近改めて捉えなおしています。失敗したことがないものでも、過去のパターンから失敗する方法を教えることはできます。でも具体的な事例を同じように相手が経験するわけではなく、あくまで1つのケースとしてそれを捉え、抽象化し、まだ経験していないケースに適用する。学びというのはそういうものだと思います。
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「一日生きることは、一歩進むことでありたい」。湯川教授の有名な言葉にもあるように、私はこれを噛み締めています。エンジニアリングの仕事を好きであり続け、楽しみ、問題を解き続けるにはどうしたらいいか。悩む方法はいくつもあれど、どれをとっても歩みを進めるしかありません。こんなミドルウェアがでてきた。こんな言語がでてきた。こんなサービスがでてきた。いくつものアプローチや技術的な進歩とも言えるものを目にして焦りを覚えつつも、つまるところ目の前のキーボードにどんなプログラムを書くかでしかプログラマは自分の仕事を表現できないのだと思っています。いろんな人達の思想を感じて、いろんな技術の背景にある深さと狙いを見て、新しいアプローチの素晴らしさに胸を躍らせて、そしていろんな環境を噛み締めながら目の前のコードを書く。
それが毎日働くことなのだと思っています。
2017/05/28
中欧旅行に行ってきた
VOYAGE GROUPでは5年勤めると1ヶ月休める制度がある。これをGWとくっつけて4/27から5/29まで休みをとった。せっかくなので5/1から5/26まで中欧旅行に行ってきた。初めてのヨーロッパ。
ブーレーズが素晴らしかった。ウィーンフィルの弦の音はやっぱりすごく特徴的な艶めかしさがあって、これも聴けてよかった。言語化できないのだけど、超弱音がぞーっとするくらいふわっと仕立て上げられるのがなんだかすごい。ブーレーズの音の広がり方がああこれは生で聴けてよいなあと思った。
その後、出張に来ていた近所に住む友人と飲みに。なぜか東京で住んでいる街の話をウィーンでした。
26日間という長い期間の旅行は初めてだったのでどこに行こうかと考えた挙句、音楽を聴きに行こうということでドイツ、ウィーンあたりに行こうと考えた。ちょうどチェコのプラハでもプラハの春音楽祭をやっている期間だったのでそのあたりを織り交ぜて、以下の旅程となった。
5/1-3 フランクフルト
5/3-5 ビュルツブルク、ローテンブルク
5/5-9 チューリッヒ
5/9-10 ザルツブルグ
5/10-17 ウィーン
5/17-19 クラクフ
5/19-23 プラハ
5/23-25 ベルリン
5/25-26 フランクフルト
ホテルはすべてBooking.comで取った。大体1日あたりざっくり2万円くらいを目処に予算を組んだ。あとは人気の有りそうな演奏会のチケットだけさきにとって、観光は各前日くらいにGoogle MapやTripAdvisorを眺めつつ考えることにした。インターネット便利。
少々長いけれどあとで見返すための旅行記としてまとめてみる。Google Keepのメモをひたすら貼っているので長い。
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5/1
日本からフランクフルトに移動した。HND->FRAのルフトハンザ便。はじめてヨーロッパへ。12時間のフライトで無事にフランクフルト空港についた。
荷物は何も預けなかったのでかんたんに入国できた。税関での審査もない。さっと外にでて、すぐに行動できる。ついたのは16時ごろ。
フランクフルト空港でフランクフルト中央駅までのチケットの買い方がわからずにチケット券売機の前にいたら親切なお兄さんが教えてくれた。優しいなーと思ったがその後駅のホームまで案内してくれ、親切すぎるなあと思ったら案の定80ユーロくれ、と言われた。はいはいこのパターンねということで、ありがとね、じゃあまた。と別れた。
空港でSIMカードを買おうと思ったのだがOなんとかというキャリアしかなかった。しかもドイツでしか使えない、50ユーロのプランしかないという。高いのでやめた。
フランクフルト中央駅で雰囲気で下車し、ひとまずぶらぶらした。雨で気温が10度ないくらいだったので5月としてはやはり東京よりちょっと寒い。予約したホテルプリムスはフランクフルト中央駅から少し離れたところにある。行き方をDBと書いてあるインフォメーションで聞いたところ、どうも電車ではなくバスで移動するようだ。46番のバスに乗れと言われた。
とはいえ46番のバスにどこから乗るのかわからない。まあ先にSIMカードを買える場所を探そうということでフランクフルト中央駅からでて外を歩く。ツーリストインフォメーションがあったので「SIMカード買えるところない?」と聞いたら、今日はメーデーなのでやってないかもねーとのこと。そう、ちょうど5/1に到着したのだ。まあとりあえず歩いてみるかということでふらふらしていたらケータイショップっぽいところを見つけた。
あまり商売っ気がない中東系のご主人のいる店だったが、どうもSIMカードがあるらしい。ヨーロッパ周遊なんだけどといったら4GBで39ユーロのmobiというプリペイドのカードを出してくれた。現金払いしてサクッと終了。設定などは自分で全部やったが、SIMカードを差して4桁のPINコードをいれればさくっと起動した。かんたん。普段使っているZenfone2は主要なキャリアのAPNについては特に入力しなくても使えるので楽である。結果的にこのmobi SIMは今回訪れた国のなかだとドイツ、オーストリア、スロバキア、チェコ、ポーランドでは問題なく利用することができたので、便利であった。なぜかスイスでは使えなかった。
これでGoogle Mapがようやくみれるようになった。滞在先の情報はBooking.comからのメールをGmailが自動で解釈し、Google Calendarにチェックイン情報と場所情報をいれてくれている。あとは時間になるとGoogle WidgetがGoogle Mapをつかって路線案内もすべて出してくれる。便利。どうやら宿まで歩いて30分くらいのようなので歩いてみる。途中、オペラハウスを見つけたり、マイン川に架かる橋からの景色を眺めつつ、足早に移動した。ちょっと歩くだけで教会がちらほらあるし、工事してる建物はうすっぺらだし、ああここは日本じゃないんだなあと感じた。
そしてホテルプリムスを見つけた。例のPlatzの近くらしい。まあ乗り方がわからないのでひとまず着いただけでも一安心。18時ごろにホテルについたが、まだ全然明るい。メーデーとは言え、近くの飲み屋もちらほらやっているようだ。チェックインをして荷物を下ろす。wifiはWPAではなく、パスワードなしのpublicなようだ・・。しかしセカイVPNがつながらないのでhttpsのページに絞って使う。とやっている間に暗くなる前に飯にせねばなということで、あたりを散策する。さすがにメーデー、スーパーはやっていない。
入りやすい店はないかなあと探しているとHOOTERSの文字が。HOOTERSといえば日本では派手な女性がいる店として人気を博しているが、家族連れが食事をしていたりして雰囲気が違う。なんとなく初見で入る店は外から中の様子が見れたほうが安心する。HOOTERSはガラス張りだったので一応中の雰囲気が伺えた。まあ入ってみるかと扉をあけてみれば、コスチュームをきたグラマラスなお姉さんがでてきた。ああ、やはりここはHOOTERSなのだというよくわからない確信を持ちつつ、席に通してもらう。広い店内だが、コスチュームを着た女性は1人で切り盛りしていた。これもメーデーだからなのかはわからないが、HOOTERSというよりファミレスっぽい感じだ。ひとまずヴァイツェンと適当なハンバーガーを頼む。まあビールを飲めればよいのだ。
頼んだファーマーズバーガーは肉も硬く微妙だった。ビールとハンバーガー合わせて16ユーロ。現金払いのみ。まあさくっと食べるにしては上出来である。これで初日を無事終えた。時差ボケもあるのでこの文章を書きつつ寝ないように粘っている。
ホテルプリムス、シャワーはちゃんとでた。歯ブラシはない。
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5/2
今日は色々歩いて疲れた。朝はとりあえずYelpで朝食を食べられるところを探した。fitness breakfastというのを頼んだ。ホールのお姉さんが随分気さくな感じでいい人だった。ヨーグルトというか、何やら甘い、レーズンのはいったコーンフレークのようなものを食べた。美味しい。食べたことのない味だったけど、すっと食べられる。パンもおいしい。くさ過ぎないブルーチーズがでてきて、ハムといっしょにパンに乗せて食べた。そこまでfitnessだったのかはわからないくらい結構な量だったが、美味しかった。コーヒーも2ユーロくらい。日本だとコーヒーは500円くらいだと考えると、フランクフルトのコーヒーは割りとお得なのかもしれない。
9時過ぎ。ひとまずHoner? という古い町並みにみれるところにいく。南京錠のかかった橋をわたりつつ、Honerへ。中国人らしき観光客を多く目にする。日本人はほとんどいない。Honerの中に観光センターがあり、9:30から開いたので入る。フランクフルトカードという、10.5ユーロで市内の公共交通機関が乗り放題になるパスを買った。これがなかなか便利だ。バスというか路面電車(トラム?)に乗ったり、地下鉄に乗るのもこれ1枚でいい。そもそも短い距離を乗るのに個別にチケットを買うのがなかなかわかりづらいので、その手間が減るだけでも買う価値がある。ただ、滞在中、一度もチケットを確認されたことはなかった。たまに確認する係の人がいるらしいのだが、せっかく買ったフランクフルトカードを見せようと思ったが誰も見に来ない。
おすすめしてもらったMain Towerに登る。地上200mの高さからフランクフルトを眺める。そびえる大聖堂やなだらかなマイン川、何本もの路線がひしめくフランクフルト中央駅、そしてドイツ銀行の2つのビル。飾り付けのない展望台だったが、見晴らしがよかった。フランクフルト空港もすぐそこにみえて、ひっきりなしに飛行機が飛び交っている。昨日私がはじめてドイツについたところだ。まだ初ヨーロッパから2日目。想像していたよりも歩き回ったけど、色々見れて楽しい。
その後、Anne Frankの学校?というのがあるらしいとフランクフルトカードのパンフレットでみたのでいってみた。だが展示がどこにあるのかもよくわからず、ざっと外観をみて引き返した。
夜はおすすめしてもらったドイツ料理屋でビールを2杯。酔っ払った。
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5/3
フランクフルトからビュルツブルクへ。ロマンチック街道の始まりの街である。前日まで行く予定はなかったのだが、ローテンブルクに行く途中によれるのでさっと寄ってみることにした。
ビュルツブルクはフランクフルトと比べると少し田舎感がある。DBに乗って向かっていると、街と街の間は草原が広がっている。まさに十勝のようだ。芋をよく食べるところも似ている。牛はみかけていないが、たくさんいるのだろうか?DBに乗っていると地元のおじさんたちを見かける。十勝のおじさんたちだと思うと、ああ似ている雰囲気かと妙に納得する。
DBはiPhoneとAndroidのアプリがあるのでそれをつかった。印刷しなくてもQRコードでスキャンしてもらえる。便利。
https://play.google.com/store/apps/details?id=de.hafas.android.db&hl=en
DBはiPhoneとAndroidのアプリがあるのでそれをつかった。印刷しなくてもQRコードでスキャンしてもらえる。便利。
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フランクフルトからビュルツブルクまでは1時間ほど。まったり朝食を食べていたらフランクフルトでの出発に遅れそうになった。駅についたのは出車5分前。ドイツの電車は遅れるものだと思っていたのだが、定刻通りに発車したので危なかった。座席指定はしていなかったのだが、適当に空いている席に乗れば良いらしい。日本人の姿もちらほらみかけた。
ビュルツブルクについた。とはいえあまり下調べをしていないのでひとまずTripAdvisorでざっとしらべて大きそうな建物に行く。だいたい観光用の建物には旅行者向けのハンドアウトがあるので、それを見つければ良い。ということで駅を出て直進していくと、大きな建物が見えてきた。ビュルツブルクのレジデンスというらしい。大司祭が住んでいたそうだ。ひとまず広場の真ん中に像があったので写真を撮る。大きすぎて屋敷が入り切らない。
中に入るには7.5ユーロほど払った。2階にあがると天井に大きな絵がかかれている。ものすごいでかい。しかも吹き抜けになっている。フレスコ画というものらしい。途方もない時間をかけて制作されたことが伺える。天井に絵がかかれているだけではなくて彫刻も天井のふちの頂点に配置されている。もしこれが日本だったら震度5の地震で倒壊してしまいそうな作りだ。そもそもどうしてあんな高いところに絵がかけたのだろう?書いたものを釣り上げて設置したのだろうか。というか見上げると50mほど上がすべて絵になるような大きさのものを天井に設置しようという発想がすごい。
他にも部屋が色々あったがだいたい似たようなものだった。ダンスホールとして使えそうな部屋がいくつもあり、こういうところで弦楽アンサンブルがダンスの伴奏なんかをしたのだろうなあと思い巡らせていた。どの部屋も天井が高く、音が響く。外は庭園がある。この庭園が見事だった。雨だったので外は歩かなかったが、これの手入れもものすごく大変そうである。
その後は橋を渡って要塞に向かった。要塞というと禍々しい感じがするが、要するに高台にある城である。ガイドマップによるとおすすめのウォーキングコースと書いてあるのだが、なかなか遠そうである。案の定道に迷いつつ、やっと上り道を見つけて要塞に向かっていった。Google Mapでの高低差の見方がよくわからなかったのでこういう道を見つけるのは一苦労である。ようやく登るとなかなか物騒な感じの城にたどり着いた。たくさんのショベルカーがいて、改修工事をしていた。さっきのビュルツブルクのレジデンスもそうだが、古い建物なので工事が必要なのだろう。
あの遠くに見える城がマリエンベルク要塞。遠い。
ビュルツブルクの駅に戻る途中、カフェによった。歩き回ってくたくただったので座りたかったのだが、小さなカフェだったので座れなかった。しかもKaffeeと発音しているのが読み取られなかった、残念。大学の第二外国語でドイツ語を1年半勉強した成果はまたしても発揮されていない。
再びDBに乗って1回の乗り換えをしてローテンブルクに到着。宿も駅から歩いて10分弱。くたくただったのでさっと荷物をおいて町中へ。門をくぐればそこは中世の町並み。すごい・・と思いつつとりあえずさっと食べ物を何か食べようとYelpで検索し、中央広場近くのドイツ料理屋へ。ビールは安定しておいしかったが、スープが微妙、肉に至ってはフランケン風豚肩煮込み的なものを頼んだが臭かったので8割のこしてチェックした。
歩き疲れたのと気温が低いのとで体力を持っていかれたので、ざっとシャワーを浴びて寝た。8時。
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5/4
今日はがっつりローテンブルクを周る。近くに宿を取ったのはこのためである。
本当に中世の街そのものという感じである。城壁があるのでこれをぐるっと廻ることができる。朝9時半ごろから回りはじめて、夕方にはゆっくりと一周まわった。さくさく周ると3時間くらいで回れるかもしれない。
最初に博物館へ。古代の展示が多いのでよくわからない。剣、銃などの武器展示は面白かった。展示ものはやはり美術館などのほうがいいなあ。
昼過ぎに大聖堂に立ち寄った。ここのステンドグラスが大きくて本当にすごい。これをみれただけでも来てよかった。
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5/5
ローテンブルクから一気にチューリッヒまで移動。朝9時にローテンブルクを出て、フランクフルトまで。フランクフルト中央駅からはICEでチューリッヒまで乗換なしで4時間ほどでつく。
チューリッヒについたものの、SIMがつながらない。ヨーロッパで使えるSIMだといわれたのに繋がらないmobi。やはりちゃんとキャリアのショップに行って買わないとだめかもしれない。ひとまず駆け足でオペラハウスに向かいマクベスを鑑賞。上裸の女性が舞台奥の暗闇からたくさんいきなりでてきて何だこれは入るところを間違ったかと思った・・が人間の身体を使った演出がなまめかしく、神秘的でだった。
終演後、Google Mapのオフラインモードをつかってなんとか宿に到着。23時前くらいだったか。夜ご飯をたべていなかったので近くのケバブをテイクアウト。13CHF。1500円ほど。高い。
終演後、Google Mapのオフラインモードをつかってなんとか宿に到着。23時前くらいだったか。夜ご飯をたべていなかったので近くのケバブをテイクアウト。13CHF。1500円ほど。高い。
13CHFのケバブ
宿のWifiにつなごうと思いきや、認証にSMSが必要。いや、それがつながらないから苦労してるんだよ・・と思いつつ諦めて就寝。
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5/6
チューリッヒの街巡りをした。Gross Munster大聖堂、チューリッヒ美術館を楽しんだ。シャガールのステンドグラスが本当にすごい。今まで見たステンドグラスのなかでも異色でありながら、それはたしかに教会のステンドグラスだった。色の使い方、宗教的意味合いの含ませ方。妙だった。
チューリッヒ美術館は本当に良かった。モネ。モネの睡蓮の花三部作が本当に見れてよかった。impressionismの作品を多く展示してあったのだけど、モネの色使いや配置は特徴的だった。他のimpressionismの画家と比べて何が違うのかと言われると言語化できない。
手前にロダンの彫刻があって面白かった
夜はまたオペラハウスにいった。プッチーニのLa Boheme。聴きやすくてやはり良いものである。席が本当に端っこにしてしまったので、舞台の奥半分はまるで見えなかった。とはいえ11CHFであれだけの演奏と歌唱を聴けるのだから安い。昨日のMacbethよりオケの演奏もよかった。やはり弾きやすいのだろうか。また、座った席が昨日と違って屋根がなかったので、音が直接届いてきたというのはありそうだ。
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5/7
ベルンまで日帰りでいってきた。首都とのことだったがこじんまりしていた。電車が赤いのがアクセントになっていてかっこいい。古い町並みだが、技術と町並みが共存しているのがすばらしい。
ベルンではアインシュタインミュージアムに行った。特殊相対性理論、一般相対性理論についての解説や展示があり、楽しめた。当時のJewsに対するの扱い、そして米国に移動してからの核政策に関する議論や手紙などもあった。
ベルンではアインシュタインミュージアムに行った。特殊相対性理論、一般相対性理論についての解説や展示があり、楽しめた。当時のJewsに対するの扱い、そして米国に移動してからの核政策に関する議論や手紙などもあった。
夜はチューリッヒに戻ってトーンハレオーケストラへ。安いチケットを買おうかと並んでいたら、なんとも上品な淑女の方からチケットをもらってしまった。お礼をいって席へ。演奏はハープ協奏曲とメンデルスゾーンの交響曲第2番。ハープの曲は2015年の曲だった。ハープの残響の扱いが面白い。ハープの人のアンコールも良かった。ハープ版魔笛の変奏曲のような曲だった。
GROSSE CHORSINFONIK
05:00 pm , Grosser Saal
Tonhalle-Orchester Zürich
Lionel Bringuier Conductor
Xavier de Maistre Harfe
Mojca Erdmann Sopran
Katharina Konradi Sopran
Christian Elsner Tenor
Zürcher Sing-Akademie
Andreas Felber Einstudierung
Kaija Saariaho
"Trans" für Harfe und Orchester, Schweizer Erstaufführung
Felix Mendelssohn Bartholdy
"Lobgesang" op. 52
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5/8
日帰りでルツェルンへ。どこへ行こうと思ったが、ひとまずピラトゥス山というのがさくっといけるらしく、いってみることに。チューリッヒからルツェルンまでは45分ほど。ルツェルンのtourist informationにいってピラトゥス山までのチケットを購入。全部入れて80CFHほど。受付の女性が親切に教えてくれたのでわかりやすかった。地図をもらい、1番のバスで移動。15分ほどいくと降りて、ピラトゥス山にのぼるrailwayに乗る。ちなみに夏季だと登山鉄道にも乗れるらしいのだが、雪のためまだ乗れないとのことだった。
railwayはなかなか景色がいい。ルツェルン含め、チューリッヒまで遠く見渡せた。スイスという感じだ。しかし、曇っていたため、ピラトゥス山頂あたりでは真っ白で何も見えなかった。コーヒーを飲みつつ晴れるのを待ったがだめ。まあ天候は仕方ないので昼過ぎにrailwayで降りた。下りながらルツェルンの街を見下ろす。おしゃれなテラスのある家が多い。またデザインが良い。古い家も多いのだがちゃんとメンテナンスされている家が多い。日本でたまに見る廃墟のような家もない。単に豊かなのだろうか?
その後ルツェルン市内を散策。教会を2つ。内装がピンクの教会が印象的だった。また、教会オルガニストが練習をしていて、音の響きも聴くことができた。残響が5秒弱ある。さすが天井の高い教会。ローテンブルクの教会も大きかったが、それくらいの大きさがありそうだ。城壁に登りつつ景色を眺める。途中、時計塔があり、石造りの塔の内部で大きな振り子を見た。ずんずんと秒針の音が響く。大きな振り子なので当然振幅も大きく、音も低いのだ。振り子が秒針を回すところは油の塗ってある弁が2つついていて、その間をすり抜けることで秒が1つ進む。時計の構造の面白さに気づく。
城壁のすぐ横がトラックになっている。
ライオンもみたが、案外でかかった。それになぜかインドからと思われるお客さんがたくさんいた。流行っているのだろうか?ちなみにピラトゥス山は有名なインド映画かなにかのロケ地だったらしく、そこもわりと賑わっていた。
17時半ごろチューリッヒに戻った。その後スイス在住の2人と夕食へ。2人はそれぞれドイツとポーランドの出身だった。チーズフォンデュを食べてからバーへ。とても楽しんだ。スイスは外国人が多く、職も見つけやすいようだ。休みも多い。5週間が有給としてついていて、さらに3週間はオプショナルで休みを取れるようだ。
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5/9
チューリッヒからザルツブルクへ移動。いよいよオーストリアへ!と思ったのだがなんとÖBBのvendor machineがチューリッヒ駅にない・・。せっかくチューリッヒからザルツブルクの1st classを取っていたのに、しかたなくその場でÖBBのアプリを落とし、2nd classのチケットを購入。無駄に100ユーロつかってしまった。
ÖBBのアプリなら2次元コードを出せる。ÖBBのアカウントにログインできればよかったのだがパスワードがわからず。ÖBBのアプリでパスワードリセットのリクエスト送っても返信こないしもう積んでしまった。
チューリッヒからドイツ方面に向かうのかと思いきや、そのまま東へ移動する経路だった。リヒテンシュタインを経由したのだが、これがとてもよかった。ものすごい景色。ラノシア平原からクルザス高原を眺めるかのようだった。いやーいってよかった。これぞアルプスという感じ。今度しっかり滞在して山登りなんかもしてみたい。
車窓から
ザルツブルクについてからはひとまずホテルにいった。教会のようなホテルなので教会だったの?と聞いてみたらPrime House? だかなんだかといっていた。滞在して訓練するような場所なのかな。部屋はきれいで広い。
その後は町中をぶらついた。17時くらいで店もしまっていたので散策のみ。モーツァルトの家も普通にあった。適当にビアホールにはいってビールとスープを。安い。チューリッヒの半額くらいだ。ひさびさに気楽に注文できた。20:30からホーエンザルツブルク城でのクインテットのチケットを取った。それまで適当に散策した。
城にはロープウェイに乗っていった。ザルツブルクカードで乗れた。あっという間に到着。景色がいい。展示なんかもいろいろあるようだったすべて閉まっていた。地味なレストランが1つだけあったのでそこにはいってカプチーノを飲んだ。20時から開場だったのでさっと飲み干して演奏会場へ。100席ほどの小さな部屋だったがライトアップされていてきれいだった。城の最上階のあたりになるようだ。
演奏はドヴォルザークの弦楽四重奏、たぶんモーツァルトのピアノ四重奏が前半。後半はアラカルトだった。後半のワルツとポルカがよかった。なんというか、急にワルツとポルカで演奏が変わった。これがオーストリアなのだろうか。
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5/10
ザルツブルクにて起床。庭園やら教会やらを見て回る。途中路上ギタリストがいたので話しかけてみた。
モーツァルトなんとかという音楽院で5年間勉強してたらしい。へえとおもって聴いていたら観光客のロシア人がやってきて3人で話していた。定職はないのか?という話をしていたがどうもないらしく、勉強して食べられないというものまた大変なことだと思うなどした。その後意気投合し、その二人はSkypeでレッスンをする流れになっていた。いろんな出会いがあるものである
夜はいよいよウィーンへと移動。ウィーンには1週間滞在する。
夜はいよいよウィーンへと移動。ウィーンには1週間滞在する。
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5/11
オーストリア3日目。ウィーンも2日目となり、慣れた・・・かと思いきや全然わからない。案外大きな都市だし都会。とりあえず宿の近場をめぐることに。まあ1週間いるしゆっくりする。
夜はウィーンの音大で勉強する友達と待ち合わせして飲みに行った。街から少し離れたドイツ料理にいった。ワイン安い。グラスで3ユーロしない。音大の話を色々聞けて興味深い。室内楽のレッスンなんかはかなり大変なようだ。モーツァルトをやっているといっていた。「ソファミレドを弾いただけでモーツァルトになる」という興味深い話を聴いた。というのは聴いてみないとわからないだろうか、それだけ説得力があるのだろう。
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5/12
シェーンブルン宮殿を見に行った。とても広い。ハプスブルク家の遺産ということだが、なぜこんなにも広いのか。ものすごく驚いた。そして庭園が本当にきれいだった。たくさんの庭師がお花の手入れをしていた。見ただけでも30人くらいはいたのではないだろうか。すごいことである。昨日みたヴェーベルン宮殿も広かったので、巨大建造物に対する感覚が麻痺している感じはある。
ちょっと小高い丘に登ってウィーン旧市街を眺めた。赤い屋根が印象的で、ああウィーンに来たのだなあという気持ちになった。大きな宮殿と共に眼下に広がる市内をみていると、ここでどんな気持ちで貴族が過ごしたのだろうかと想像してしまう。たくさんの絵画、彫刻、部屋の豪華な装飾。ビュルツブルクのレジデンスもすごかったが、シェーンブルンは庭園が圧倒的にでかい。
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5/13
土曜日ということもあり、まったりしている。ブタペストに行こうかとも思ったが、やはり行き帰りの時間を考えてやめた。まあまた来れるだろう。
昼はハイリゲンシュタットにいった。ベートーヴェン関連を探りにいくのだ。しかし博物館はシンプルだった。ベートーヴェンの小道を歩いたり、ヘッドホンでベートーヴェン末期の四重奏を聴いたりした。
夜はフォルクスオーパーでオペラを見ることにした。屋根の上のバイオリン弾きだ。
主演のおじさんがとても感情豊かだった。すごい。ドイツ語で意味はわからなかった。日本語だったらなあ。
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5/14
日曜日だし、ということでミサへ。シュテファン大聖堂へ行く。王宮だとウィーン少年合唱団が聴けるみたいだけどチケット取ってない。
シュテファン大聖堂でも9:30ごろからイベントをやっているようだった。すでに始まっていて入れなかった。と思いきや10:20からまた入れるよと言われたので入ってみた。モーツァルトやバッハのミサ曲を聴けた。やっぱりオケも合奏もうまいなあ。小規模編成で弦4人ずつくらい?金管もちょっといた。合唱が混声で30人くらい。音の減衰が美しい。
途中司祭さんがいろいろ話してたけどドイツ語なのでよくわからない。途中でリーベンとかカイネとかなんか色々いってた。とりあえず雰囲気に合わせて立ったり座ったりしておく。
疲れたのでコーヒーを飲みにスタバへ。まあトイレ入りたかったんだけど0.60ユーロとかもってなくて入れずスタバに駆け込んだという。こっちのスタバにはメレンゲコーヒーがある。なんか他の喫茶店入るよりもスタバのほうが安い、気がする。カフェラテtallで3.75ユーロとかだったかな。まあ日本と一緒くらい。
その後王宮をせっかくなので見に行った。古楽器展示があるらしい。まあ広い。とても広い。古楽器ちょっとあるくらいだろと思ったら案外ちゃんとしてて、鍵盤の仕組みの進化とかもみれた。フィナッチャのマンドリンとギターもあった。1895年とかのだったかな。あとはヴィオラ・ダ・ガンバとかもあったし、古いハープもあった。1500年くらいの弦楽器でチターとヴィオラ・ダ・ガンバをくっつけたようなやつがあってデカかった。よく形を保っているよなあ。すごいことだ。
楽器を見終わって扉を開けたらたくさん鎧があった。鎧並び過ぎて謎だった。馬でかいし。しかも歴史ごとに鎧飾ってあって大量だった。何故か途中に侍の衣装があった。謎。最近キングダムを見てるんだけど、歩兵で騎馬に勝つとか無理だなこれなどと思った。騎馬高い。
夜はいよいよKoncerthausでウィーンフィル・バレンボイム。初ウィーンフィル、素晴らしかった・・。スメタナとブーレーズ。プラハの春音楽祭のオープニングは例年チェコフィルなのだけど、今年はウィーンフィルが2日前にやっていた。なのでわが祖国をウィーンフィルが弾いており、それと同じプログラム。
ウィーン芸術週間
CONDUCTOR
ダニエル バレンボイム
ORCHESTRA
Wiener Philharmoniker
ダニエル バレンボイム
プログラム
Bedřich Smetana
Auszüge aus "Mein Vaterland (Mà vlast)"
-- 一時停止 --
ピエール ブーレーズ
Notations für Orchester I, III, IV, II, VII
ブーレーズが素晴らしかった。ウィーンフィルの弦の音はやっぱりすごく特徴的な艶めかしさがあって、これも聴けてよかった。言語化できないのだけど、超弱音がぞーっとするくらいふわっと仕立て上げられるのがなんだかすごい。ブーレーズの音の広がり方がああこれは生で聴けてよいなあと思った。
その後、出張に来ていた近所に住む友人と飲みに。なぜか東京で住んでいる街の話をウィーンでした。
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5/15
さて週が開けて月曜日。
今日はふらっとブラチスラバに行ってみた。スロバキアの首都である。なんとウィーンから電車で1時間でいける。しかも往復切符が16ユーロ。安すぎである。
いってみたらこじんまりした旧市街があった。あと城もあった。旧市街を2時間半ほど散策。言葉が全然わからないのでなかなかつらい。そもそも何が書いてあるかわからないというのは異国感がある。ポーランドもチェコもそんな感じだろうなあ・・。ランチでひさびさに魚を食べた。
夜は初めての楽友協会にてミュンヘンフィル・ゲルギエフを。
Claude Debussy
"Prélude à l´après-midi d´un faune" . Eglogue pour Orchestre d`après Mallarmé ("Der Nachmittag eines Fauns")
Franz Schubert
Symphonie Nr. 4 c - Moll, D 417 ("Tragische")
— Pause —
Hector Berlioz
Symphonische Ausschnitte aus „Romeo und Julia“
Introduction
Roméo seul: Tristesse-Bruit Iointain de bal et de concert-Grande fête chez Capulet
Scène d’amour
Scherzo: La Reine Mab ou la Fée des songes
Roméo au tombeau des Capulets
Maurice Ravel
Boléro
ミュンヘンフィルうまい。音の太さのバライティや、音の途切れ方のバリエーションがめっちゃ多かった。ボレロの指揮とか見たかったのだが、オルガン左の席で何も見えなかったので不明。でも音はたしかに良かった。ベルリオーズのロミオとジュリエットは初めて聴いたが、ものすごい劇的だった。4,5楽章とか和声が変な感じ。あと6楽章はバイオリンの倍音が実験的に使われていたりして面白かった。ラヴェルのボレロは最高だった。
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5/16
アーノルド・シェーンベルクセンターに行った。なかなか展示が充実していた。数がたくさんあるわけではないんだけど、historyがちゃんと展示されていた。満足。作品解説とかはちらほらしかなかった。shopがよくて、スコアが結構たくさんあった。あとはシェーンベルクが絵を書くということを初めて知った。
その後は昼を食べて、町中をぶらついた。今日は夜にウィーン国立音楽大学に行く予定はあるがそれ以外は暇なので、今これをマックで書いている。ウィーンのマックは全部タッチパネルで注文できた。あとはクレジットカードでPINいれて終わり。便利。
夜はウィーン国立音楽大学に行って演奏を聴いてきた。室内楽の授業の成果発表会があるとのことだったので、せっかくなので行ってきた。音大のなかに入ったのがそもそも新鮮で、やはり道行く人がみんな楽器を持っている。少し早く着いたので学内カフェに入ってカプチーノを飲んでいたのだが、周りでもやはり音楽の話をしていた。歌を口ずさむ人もいる。スコアを眺める人もいる。
その後ホテルのバーに飲みに行った。ジャズピアニストがいたので飲みつつ色々話をきいた。イタリアに家族がいて、もう20年間もウィーンで働いているらしい。陽気でいいおじさんだった。リクエストしてOver the Rainbowなんかを弾いてもらった。楽しそうに弾くし、うまい。
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5/17
ウィーンを出た。8時間かけてポーランドのクラクフへ。クラクフに向かうバスの中で書いている。暇である。ただこのバス、WiFi・電源もあるしトイレもある。快適。交代要員の運転手さんもいる。
クラクフに到着。旧市街広場は子どもたちがしゃぼんだまと駆け回っていて平和だった。ポーランド、漠然とちょっと治安に不安をもっていたけどクラクフに到着して一安心した。
クラクフに到着。旧市街広場は子どもたちがしゃぼんだまと駆け回っていて平和だった。ポーランド、漠然とちょっと治安に不安をもっていたけどクラクフに到着して一安心した。
夜、ポーランド在住の方とご飯を食べた。クラクフのヤギェウォ大学を出たあと、そのままクラクフで働いている。もう12年クラクフに住んでいるそうだ。Polishフードの店だということでピロシキを食べたり、パンに入ったスープを食べたりした。メインでGooseを食べたりもした。Polishのビールも飲んだ。さっぱりしていてちょっと甘い。チェコビールに似ているのかもしれない。
その後街にでて案内してもらった。22時前から40分ほど歩いただろうか?城をみたり、教会を見たりして回った。おすすめのレストランやらも教えてもらった。親切な人でよかった。
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5/18
なんて広いのだろう。一言で言えばナチの虐殺の歴史そのものだった。見学客の数もものすごい。1年間で100万人くるとのこと。ひっきりなしに人が訪れていた。今回は英語ガイドツアーに参加。40人ほどのグループで動く。剥がれた服、メガネ、靴といった装飾品もあれば、ガス室で殺される前に刈られた髪の毛の展示もあった。大量の髪の毛。そこには生きていた人たちがたしかにいたのだ。そしてJews(ユダヤ人の人たち)が110万人も殺されたのだ。Jews以外にも20万人。犯罪者とみなされた人たちだ。恐ろしい数である。
ガス室もみた。そこで毎日数千人が殺されるのだ。シャワーをかけたあと、20-25分ガス室に閉じ込める。その後埋められたり焼かれたりする。効率的な大規模殺人装置だった。人がもののように流れて、処理される。
ガイドさんもおっしゃっていたけど、これは歴史で、そこから学ばないといけない。こうやって日々大量の人たちがアウシュビッツ強制収容所を見学しに来るなかで、何を学び取り、何を感じ、どうやって自分の人生に反映していくか。やはりそれが大切なのだ。戦争についてこれまで何度も資料を読み、何度も考えたつもりでも、一度目にするとここにある巨大な施設を人間が作ったということに愕然としてしまった。人種による差別、戦争、戦争下での心理状況。いくら想像してもしきれないほどの歴史が目の前にあった。
クラクフに戻って散策した。
アウシュビッツからクラクフに戻って、人種の多様性について考えながら歩いていると、ポーランド人の小学生と思われる子供たちが5人ほど中央広場で話しているのを見かけた。すると一人の少女が「こんにちは」と言ってきた。笑顔でこんにちはと返すと、彼女らは「わあ・・!」と驚いた様子だった。そんなふとした出来事なのに、なんだかたくさんのことを考えてしまったし、彼ら彼女らに深く感謝した。
城をみて、ユダヤ人のゲットーを通り、南へ。のどかな川沿いを散歩し、橋を渡ってユダヤ人の英雄の椅子が並ぶという広場へ。20脚ほどの椅子が晴天のなかで佇んでいる。彼らはドイツ人を数十人殺して英雄と呼ばれているらしい。これもまたなんとも言えないことだ。英雄とはなんなのだろう。
少し裏道を歩いていると17時なのに外で飲んでいる若者4人がいた。私が通りかかると静かになった。ポーランド人だろうか。黒髪の、しかも日本人を見るのが彼ら彼女らにとっても新鮮なのだろうか。私が通り過ぎようとするとブラックなんちゃらといっていた。クラクフのcity hallのあった広場は観光客もたくさんいるが、市内から少し離れるとやはりこういう感じなのだろう。
近くにシンドラーの工場もあったので見に行った。映画「シンドラーのリスト」で出てきた工場だ。今回クラクフ、あるいはアウシュビッツビルケナウに行こうと思ったのは、この映画を去年みたことが一つの理由だった。いまは美術館の一部になっていた。映画で見たエントランスがそのままそこにあった。
クラクフのcity hallのあった広場に戻って夕飯をたべた。昨日の夕飯と違ってくさすぎずいい店だった。教会が近く、ラッパも2度聴いた。突然終わるラッパ。伝統が今も続いていた。ビールと赤ワインをおいしくいただいた。サーロインステーキも美味しかった。お腹いっぱいたべて5000円しないくらい。
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5/19
旅行もあと一週間。クラクフを朝9時にでて、バスと電車でプラハに移動する。Leo Expressという会社をつかった。片道27ユーロほど。電車が国をまたいで直接通っていないらしく、バスで国境を越えてチェコに入ったあとに電車で乗るコースだ。
隣の席で家族連れがUNOをしている。5歳くらいの男の子が元気に「UNO!」と言っていた。こちらにきてもグローバルな企業はどの国でもビジネスをしているなあという感じがある。マクドナルド、ZARA、H&Mはどこでも見かける。スターバックスもわりとどこでもある。ユニクロはあるだろうかと思ったがまだ一回も見かけていない。
車内でヴィクトール・E・フランクルの「夜の霧」を読んだ。アウシュビッツを含め、強制収容所での被収容者となった心理学者である筆者がその体験を至極客観的に書いている書だ。昨日アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を見学してから、ずっとそのことについて考えているので一気に読んだ。強制収容所の中での人間の心の動きについて、まるで外からその心の動きを読んでいるかのように記述する著者の冷静さに感銘を受ける。いつ開放されるかわからず、ただ少ない食事を食べ、厳寒でも外で長時間肉体労働をするのを3,4年と続けるのだ。健康でなくなり、働けないと思われればすぐにガス室送り。そんな環境での人間の心の動きをどのように想像することができようか?暗闇のなかで9人が2段ベッドとは名ばかりの床の上で身体をくっつけて川の字に寝るときの感情など、どのように想像できようか?アウシュビッツ強制収容所で起きていた凄惨な全体像ではなくて、被収容者の心理があまりに達観した視点から書かれていることに驚かざるを得ない。
プラハに到着。ひとまず中央駅のあたりは治安が悪いかもなあということで早足でトラムのチケット販売場所を探す。プラハの公共交通機関はトラムも地下鉄もバスも同じチケットらしく、3日券や1日券を買うと楽なようだ。ということで3日券を購入。どうやらGoogle Mapでは路線検索してもトラムの時間帯は網羅されていないが、どの駅にどのトラムが来るのかということはわかるようになっている。幸い駅のすぐ近くのトラムは5番を通っていたのでそれに乗った。無事ホテル着。ドン・ジョバンニ、大きなホテルだ。ひさびさにホテルらしいホテルに泊まっている。ひとまずチェックインして部屋へ。広い。バスタブもあるし、ダブルルームなのもあってベッドも広い。ついでにソファも4人座れるほどだ。バスローブまでついていた。なぜホテルの名前がドン・ジョバンニなんだろうと思ったらモーツァルトのドン・ジョバンニの初演がプラハだったらしい。
お腹がすいたのですぐ近くのチェコ料理屋で夕飯。チェコビール、ローストビーフをいただく。うまい。飯がうまい。量もあるしコスパもいい。ついでにホットドッグを頼む。でかい、うまい。がつっと食べてビール1リットル飲んで2000円ちょっとだろうか。やはり安い。
チェコビールというとこういう大きなビアマグのイメージがある
夜は部屋に戻ってひさびさに浴槽へ。やはり湯につかれるのはよいものだ。ついでにNetflixで光のお父さんを見た。すごく日本っぽい感じだ。
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5/20
まず色々歩いてみようということでプラハ城目指して出発。トラムでまあいけるでしょうということで乗り継ぎつつ旧市街に到着。ツーリストインフォメーションをみつけて恒例のwhereamiをする。地図と居場所をゲット。やはりGoogle Mapだとわかりづらいものがすぐわかっていい。
北にあるCechuv橋からプラハ城のある陸を目指す。遠目に見えるカレル橋はものすごい人混みだ。丘を登り、若者たちの落書きのある階段を登る。150段ほどで丘の上についた。コーヒーなんかを売っている店がある。単に公園と言った佇まいである。
城のほうに歩いていくとここにも小高い撮影スポットが。赤い屋根で埋まる街は本当に素敵だ。そしてカレル橋、Manesuv橋もよく見える。観光用と思しき船がちらほら走っていて賑やかな河だ。スメタナで聴いていたブルダヴァが目の前にある。
もう少しいくと小洒落たカフェ風の古い洋式の建物あった。かるくコーヒーとアップルパイをいただく。アップルパイがおいしかった。屋外のテラス席からは眼下にプラハ市内がよく見えてまたこれも素晴らしいなあと思いつつアップルパイを食べていたら突然黒い物体が落ちてきた。なにかと思ったら松ぼっくりだ。コーヒーカップのわずか20cmほどのところに落下してテーブルに乗っかった。いやあ、どんな日にもアクシデントがあるものである。隣のおじさんおばちゃんたちも笑っていた。
しばらく道なりに歩いていくと警備兵が建物の上に立っているのが見えてきた。あとからわかったことだが、マリアテレジアが夏の療養地として使っていた建物らしい。王宮の庭の一部となっており、ひとまず庭に入ってみることにした。警備兵がいて危険なものを持っていないかどうかチェックされる。どうやらもうこのあたりはプラハ城の一帯であり、プラハ軍の警備管轄になると看板に書いてあった。
庭にはヨーロッパはたまたアメリカから集めた樹木がポツポツと植えられていた。普通の公園と違って木と木のスペースの作り方がかなり贅沢であり、同じ種類が連続しないのがこういった特殊な庭園のパターンである。途中大きなバラのような花があり、多くの人が写真を撮っていた。
そうこうしているとプラハ城が見えてきた。石造りの橋が庭園からかかっていて、城門につながっている。城門にはマシンガンをもったプラハ兵が立っている。特にやましいことは何もないのだが、あんなマシンガンで打たれたらひとたまりもないだろうなと思いつつ城門をくぐり抜ける。
観光者案内所が城内にあるので立ち寄った。10ヶ国語での案内があった。日本語があるのは珍しい。中国語と韓国語もあった。何やらいくつかコースがあり、大まかに3つほどのコースがある。一番色々見られるのがAコースだったのでそれを買った。350コルナ。ついでに城内での撮影許可は別売りになっていたので50コルナでこれを購入。撮影にお金が架かるのだなあと思いつつ買ったが、結局のところ、どこで写真を撮っていてもこの撮影許可証を確認されることはなかった。
まずやはり大きな教会、とは思えないほど大きな建造物が目に入ってくる。St. Vitusだ。入場も長蛇の列だった。中に入るとステンドグラスが2段になっており、凄まじい高さがある。普通の教会が20個は入ってしまうくらいの大きさがあるのではないだろうか。ウィーンでみたシュテファン大聖堂もかなり大きかったが、大きさだけで言うとここのほうが大きいかもしれない。ミュシャのステンドグラスもみた。この大聖堂は500年以上に渡って建設されているらしく、ステンドグラスも世代によって作風が大きく異なっていて面白い。
帰りが大変だった。旧市街でチョロチョロと見回って、疲れたし上着取りに家に戻ろうかと思い6番トラムにのったらなぜか北へ。あれよあれよと言う間に橋を渡り、プラハ城の公園に登った入口まで戻ってしまった。そしたら右にまがり、街の中まで走った。6番トラムで帰れることは知っているのだが、こんなに大きな路線だったとは。やはり路線図は見るべきである。その後なんとなくGoogle Mapをみつつ、それっぽい方向にいくトラムを乗り継いで帰ってきた。小旅行であった。
明日は美術館を回りたい。国立美術館にいく。どうもミュシャのスラブ叙事詩という代表作群は東京にあるらしい。行き違いである。
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5/21
さて散歩がてら諸々回ろうということで国立美術館目指して出発。カフェ・インペリアルとカフェサボイにも行ってみたいなあと思いつつ。それとスメタナホールで明日のチケットを引き換えておこうということで旧市街の広場あたりに向かう。
スメタナホールについてみると、おお、これはミュシャの絵だろうという雰囲気のタッチの絵画がホール正面の頭にかかれている。
あとから調べてわかったことだが、スメタナホールは複合施設になっていて、レストランや事務所なんかも入っているらしい。教会といい、ミュシャの活躍はすごい。国民的画家なのだなあ。プラハの春音楽祭のチケットオフィスが明日のコンサートのチケット引き換えについて聴いたところ、Eチケットがそのまま使えるとのこと。ウィーンのコンツェルトハウスが不便だっただけか。ついでに今日の夜チケット空きある?と聞いたら2席だけあいていたので購入。700コルナ。ドヴォルザークホールにて。
スメタナホールについてみると、おお、これはミュシャの絵だろうという雰囲気のタッチの絵画がホール正面の頭にかかれている。
あとから調べてわかったことだが、スメタナホールは複合施設になっていて、レストランや事務所なんかも入っているらしい。教会といい、ミュシャの活躍はすごい。国民的画家なのだなあ。プラハの春音楽祭のチケットオフィスが明日のコンサートのチケット引き換えについて聴いたところ、Eチケットがそのまま使えるとのこと。ウィーンのコンツェルトハウスが不便だっただけか。ついでに今日の夜チケット空きある?と聞いたら2席だけあいていたので購入。700コルナ。ドヴォルザークホールにて。
performers
Park Jinhyung - piano
programme
Franz Schubert: Sonata in A major D 664
Bohuslav Martinů: Marionnettes, Book I
Franz Liszt: Tarantella from Venezia e Napoli S. 162
Adam Skoumal: The Jongleur
Claude Debussy: Images, Book I
Sergei Rachmaninoff: Sonata in B flat minor Op. 36
先に感想を書いてしまうと、とても良かった。ラフマニノフとドビュッシーが素晴らしい。低音の分離やらバランス、歌い回しなどきっと改善するところはたくさんあるのだろうけど、演奏会としてとてもおもしろい構成だった。チェコの作曲家2人を取り上げていて、Adamさんは会場にもいらっしゃった。Adamさんの曲はバルトークのピアノ曲のような印象を受ける。アンコール3回、2回目終わったときにスタンディングしてる人もちらほらいたので終わりかなと思ったらなんと3回目。しかも3曲目が早くてかっこいい曲、カプースチンかなにかだろうか。これが彼の好みなんだろうなと思いつつ会場総立ち。総立ちのスタンディングオベーションなんて日本じゃまずみないしすごい。プラハの人たちも温かいなあ。
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5/22
今日みた彫刻は一番自分にささった。コミュニズムが人を壊して空っぽにする。あんな彫刻あるのか。20年弱前にはまだ共産圏だったのだというのを無言で伝えられた。観光客はセルフィでそれと写真を撮ったり、像自体にも蜘蛛の巣がついていたりする。彫刻は時を止める芸術だ。なんて生々しい、なんて空間的な表現なんだろう。ぞっとした。その背景にあるものに、初めて彫刻をみて身震いがした。人間が徐々に崩壊していくのだ。
カレル橋を渡った。1402年に完成し、その後改築を重ねている橋。ここは春江一也著「プラハの春」の小説でもたくさんできていて、どうしても渡ってみたかっただ。ものすごい人混みである。
カレル橋を渡った。1402年に完成し、その後改築を重ねている橋。ここは春江一也著「プラハの春」の小説でもたくさんできていて、どうしても渡ってみたかっただ。ものすごい人混みである。
performers
Czech Philharmonic
Jiří Bělohlávek - conductor -> PETR ALTRICHTER に変更
Jiří Vodička - violin
Jakub Fišer - viola
Kostas Smoriginas - bass-baritone
Prague Philharmonic Choir
Kühn Choir of Prague
programme
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia Concertante for Violin, Viola and Orchestra in E flat major KV 364
Dmitri Shostakovich: Symphony No. 13 in B flat minor Op. 113 „Babi Yar“
スメタナホール。ホールの中が豪華。天井画もミュシャだろうか。
モーツァルトK.364。ソリストのヴァイオリンとヴィオラがよい。コンビネーションがばっちり。指揮者のPetrさんもノリノリで面白い人だ。大きく振るタイプだ。
ショスタコーヴィチ交響曲第13番。これはロシアに対してユダヤ人迫害の批判をする詩である。1962年完成。つまりプラハの春のすぐ後である。この曲をチェコフィルがスメタナホールで、プラハの春音楽祭に演奏できるということの尊さに胸がぐっと締め付けられてしまった。
そしてモーツァルトと打って変わって低音が響き渡る。低音の深い青と黒の混ざりあった色彩の変化は今まで感じたことがない。この曲は合唱も65人ほどの男性のみ。ソリストはバス。深く低い音に潜りこむ曲だ。バスドラムとベース、そしてチェロが混ざり合う。その音は、一様ではない。生々しく、気持ち悪く、それでもかと混ざってくる。そしてチューバ。コントラファゴット。低音群の混ざり合いでこんな世界が生まれるのかと驚く。
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5/23
ベルリンについた。電車で5時間。移動も慣れたがやはり疲れる。DBの運営だったので、さくっとアプリでチケットを買った。
ベルリンでは色々と歩き回った。
ベルリンでは色々と歩き回った。
ベルリンはやっぱりプラハと比べるとすごく都会だった。都市。ある意味東京に似ている。
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5/24
まったり起床。今日はベルリンをいろいろまわる。とりあえず48時間有効なmuseum passというのがあるらしいので中央駅に行って買う。
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑
ブランデンブルク門
翌日にはオバマ元米大統領とメルケル独首相の弁論会が開かれていた
Berlin Dom
ペルガモン博物館は混むらしいのでツーリストインフォメーションで予約してもらった。13:00-13:30。行ってみたら全然普通に入れるっぽかった。予約いらないじゃん。なんかでかい古代の門がどーんと室内においてあってすげえなと思った。あの巨大な門、どうやって運んだんだろう・・。
ペルガモン博物館。室内に古代の門が展示されている。
夜はベルリン・フィル聴いてきた。指揮はムーティ。めちゃくちゃ良かった。
Berliner Philharmoniker
Riccardo Muti Conductor
Franz Schubert
Symphony No. 4 in C minor D 417
Piotr Ilyich Tchaikovsky
管が、弦が、打楽器が、すごい。全部そろってやっぱりみんなめっちゃ上手い。あんなにぐっとくるフルートやオーボエ、そしてファゴット。金管楽器も驚くほど豊かな音色。ホルン、トランペット、チューバ。和音が豊かで、こんな豊かに和音ってなるのかと。今まで出してた和音ってなんだったんだろう・・。
チャイコフスキーがめっちゃよかった。あんな芳醇で豊かな響きにチャイコフスキーでもなるのだと。柔らかい金管、硬い金管。フルートのしなやかで計算しつくされた旋律づくり。ムーティの指示なのだろうか。全体の構成もさすがで、特におそらく楽譜には明記されていないがエコー的なフレーズをきれいにppに落としていったりと、丁寧な全体感だった。音の変化のバリエーションがものすごい多い。いやあ、いい演奏を聴いた。あんな和音をギターで鳴らせたらどれだけ豊かな演奏になるだろうか。あんなフレーズを弾けたらどれだけ素晴らしいだろうか。管が本当に素晴らしかった。
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5/25
ユダヤ人博物館とベルリン現代美術館?的なところへ。ユダヤ人博物館はなかなか広かった。この旅の一大テーマの一つはJewsになっていた。アウシュビッツ然り、アインシュタイン然り。シェーンベルクの展示も見に行ったし。
その後ベルリンからフランクフルトへ飛行機で移動。国内線は快適。預ける荷物ないとやっぱり空港は楽。今回の旅行は40Lの2輪バックと15Lほどのバックパックで行った。
夜は最後のドイツビールをホテルのレストランで。やっぱりおいしい。夜はフランクフルトのエアポートホテルに1泊。
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5/26
帰国日。エアポートホテルはいろんなお客さんがいて面白かった。航空会社の人、軍服のようなものをきたアジア系の人。あとはビジネスマン。エアポートホテルは初めて泊まったけど、ああいう感じなんだなあ。
フランクフルト空港のお土産屋でアイスワインとチョコレートを買った。あとは乗るだけ。
早朝6:30ごろ、羽田着。暑い。もう湿度が上がってきている。日本に戻ってきて思うのが、英語案内全然ない、朝から人多い、電車のなかで学生めっちゃ勉強してる。羽田空港京成線のホームで「この電車品川駅いきますか?」と旅行客に聴かれた。京成線は英語のアナウンスもないし乗っていて不安になるだろうなあと。自分がブラチスラバに行ったときのような感じだと思うとなかなか大変だと思う。