2012/03/16

春休みの過ごし方



先月無事修士論文を提出し、大学でのほとんどの予定を終えて、僕は晴れて春休みを迎えていました。遊びに行く友達たちを見ながら春休みであることを感じ、そして僕も例に漏れず、南の島にいって休んでみたりしています。

春休みというのは長いもので、2ヶ月もあります。1ヶ月は休めるかもしれないけれど、2ヶ月も休むのは僕には無理かもしれません。それどころか、1ヶ月も休むだけだったら一体何をすればいいのだろうとすら考えています。どうも、何もしないことと休むということを混同してしまっているのかもしれません。

当の僕はというと、相変わらずtrippieceのことばかり考えていました。大学院での研究が一段落すると、自分でもびっくりするくらい時間が作れるものです。一日中、自分の手塩にかけたアプリケーションをさらに育てることに費やせるのです。そんな時間感覚が今まで欠如していたのか、1つのことに集中するということにすごく喜びを覚えた時間でした。仕事と遊びの境に自分がいるのかもしれないけれど、それはそれで楽しいような感じがしていて、厳しいものでもあり楽しいものでもあり、そんな空間の中で時間を過ごすことに悦に浸っていたような気がしています。

音楽をみんなで作るときにたくさん話し合いをするように、プロダクトをつくるときにエンジニアでもたくさん話しをすべきなのでしょう。僕の仕事はコードを書くことがメインではすっかりなくなってしまいました。それはとても良いことです。コードを書く事自体が目的になってしまうのはダメなのです。誰のためにどんなものを作りたいのかということを、常に忘れてはならないのです。だんだんtrippieceも大人の手段を使って、賢く成長しようとしているフェーズになって来ました。コードベースは今までになく良い状態を保ち、どんな機能の追加にでも対応できるような枠ができあがりつつあります。誰が作っても、変わらず成長し続けるアプリケーションでいて欲しい。そう思いながら、現段階で想定される範囲のことを実現するためのコストを最小限に抑えるための仕組みを構築してきました。僕の春休みはそうやって過ぎつつあります。

思えば、学生生活の間で時間の費やし方というのがどんどん変わって行きました。満員電車の中でもずっと読書をしていた時期もあれば、10分の空き時間にコーディングを進めることも日常茶飯事でした。ギターを弾くときも効率良く淡々と練習し、食事の時間も完全に計算していたこともありました。しかし波があるもので、最初は時間を切り詰めて効果が上がっていたものが、徐々にうまく回らなくなってしまうようになってしまいました。生活から楽しみが消えて、味気ない時間を過ごしたことだけが残っているようでした。不思議なことに今度はどんどん時間に感覚が緩んで行きました。1つ1つに余裕をもって、何かを感じながら、その時々に感じた何かを大事にしながら、過ごすようになりました。すごく良いことでした。いろんなことが見るようになりましたし、集中するときには一気に作業が進むようになりました。集中しているときには怖いくらい周りのことを気にしませんが、大抵それも1日のうちの2,3時間程度で、他の時間はすごく自然に過ごしています。

春休みはもうすぐ終わりそうですが、色々な波を超えて、次に備えているものへの期待感を着々と醸成しつつある、そんな時間を過ごせているのだろうと感じています。