人を捉えるとき、私は剛柔をもってその人を見る。
剛とは強さのこと。意志の強さ、こだわりの強さ、信念の強さ。何かを突き動かす力の大きさ。目的を達成するための強靭さ。個としての確固たる決意、スキル。強いものは周りを惹きつけ、動かし、うねりを作る。いつでも変化を起こすのは剛だ。
柔とはしなやかさのこと。受け入れられるものの大きさと深さ。多様な価値観を受け入れられる包容力と理解。受け流すのではなく受け入れ、受け止める強さ。変化を受け止め、自らを変え、対応できる力。
強さとしなやかさは両立する。人は両方をもっていて、それぞれに質や比重が異なる。誰にでも価値観があり、かつ何かを許容する。
しなやかさがなければ学びはない。まだ知らないこと、自分が未熟であることを受け入れ、新しい力を身につける。何かに長けている人でも、全てに長けていることはない。若さからも学び、他者から学び、理解する。力をつける。しかし信念のないところの学びは血肉にならない。
学びがなければ強くならない。ただ頑固なだけでは何者にもならない。何かをなし得るために身に着け、努力し、時間をかけ、実行する。そのために学び、変化を起こす。自ら生み出す。しかししなやかさがなければ、やがて変化できない自分がうねりに飲まれる。
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同じ人でも年を重ね、経験を重ね、剛柔を変えていく。変えていないならしなやかさが足りない。経験を重ねてもしなやかであり続けるには、理解し続けなければならない。今の自分の価値観を覆され、今までのやり方では超えられない壁を感じ、変化を余儀なくされ、固執せず、自らを変え続ける。
剛柔の偏りは時としてなければならず、偏りないならどちらかが弱い。こだわりが少なすぎるなら流されるだけであり、受け入れるままになる。強すぎても弱すぎてもいけない。そうした波をしなやかに乗り越えている人は見ればわかる。そして自分よりこれを繰り返している人を前にすると自分の未熟さを痛く感じさせられるのだ。
明日も一歩進められるようにありたい。