2025/03/30

密度

最近仕事もプライベートも含めた密度が濃い。

「濃い」というのは単純にみればよさそうではあるが、裏返すと時間がないように思う。AIしかり、時間密度をあげることをそれ以前から淡々とやってきた結果、5分10分でできることが格段に増えている。特に仕事に関して言えば、10年前と比べると隔世の感がある。

「考える」行いに対する密度が上がっている。最近は朝、紙の新聞を読んでおり、読みながら別の仕事のことやら生活のことやらを考えている。表の密度と裏の密度があるなら、どちらも濃い。それまでの経験をもとに新たな情報を練りこみ、さらに解釈を重ねていく。ひたすら頭にいれるときもあれば、ただ話して出すだけのこともある。家族、同僚など、毎日話してはあれこれ考える。話しながら考えていることも多々ある。話しながら関心が移ってしまうこともありよくない。ともあれ話す以上に考えるのは早いものである。

密度が上がればただ良いのか、というとそうではない。結果をよくすることは必要だが、常に短距離走をしてながら北極星を目指していては、やはり無理が来てしまう。この春のテーマは脱力と、余裕である。

2025/03/17

言語を覚えるということ

先週は言語処理学会に初めて参加してきた。言語を学び、言語を深く知り、言語を計算したいと考える人達に囲まれてとてもよい時間を過ごした。LLMの中身を科学しようとする取り組みもさることながら、人が言語を学ぶことと言語モデルを対比したセッションなどもあり、好奇心が高まった。運営のみなさまどうもありがとうございました。

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日々、子どもの言葉を覚えるスピードに驚かされる。今日は「ぐりとぐら」を読んでいたら、たきぎって何、ときいてきてくれた。日々、「なんでこれは動いているの?」とか「なんでこのお魚は赤いの?」とか、理由があるようなないようなものについてもなんでなんでときいてくれるようになってきた。言葉を覚えるだけではなく、その裏にある意味を感覚的に知り、理解しようという段階になってきているようだ。

ただ意味がわかったようでも、全然わかっていないこともたびたびある。あるいは敢えて無視をして、いたずらをして親の注意を惹こうとしてきたりする。ああ、そのおもちゃを投げるのはやめてといったのに・・というようなことを毎日のようにやっている。わかってるはずなだけどなあ、とこちらは思うのだが、すでに向こうは意味をわかっていて、敢えてわからないふりをしていたずらをしていると気づくのにはそうは時間がかからなかった。親の表情や反応をみて遊んでいるのだから、なんと子どもというのは賢いのだろう、と思う。

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日々本を読んで、文を書いて、話して、聴いて、多くのことを言葉を通じて考えている。ちょっと言葉に依存しすぎかな、離れなければと思うが、いまもまた文字を打っている。

子どものように言葉を楽しむ、というのは人にとってなんて楽しいことなのだろうと思うのだった。

2024/03/25

今を生きる

子供が生まれてからというもの、家族と過ごす時間がぐっと増えた。

休日は朝から散歩をし、花の色を声に出しながら(「あか!きいろ!」)、あちらこちらと寄り道しつつ駅に向かう。踏切をみたり(「かんかん!しゃだんき!」)、電車を3本ほど見送りつつホームから眺めたり(今は「ぎんざせん!」ブームだ)、ラーメンを食べたりしている。

思えばコロナでも家で過ごす時間が増えた。それまで外食なりでかけていたのが、家で楽しむ時間を増やした。本を読み、家事をして、ゲームをして、また家でご飯を食べた。外出は増えたものの、それ以来すっかり家でご飯を食べるのが楽しみになり、わいわいと食べている。食べながら散らかすのは日常だが(さっきもたらとパンをうしろに放り投げていた)、家のなかなのでまあ片付ければいいか、となる。

片付けの時間は日に日に増えているが、これもまた今だからこそだなあとも想像している。なぜこのパネルのピースがソファの下に・・?ということが毎日のように起こる。想像を超えた散らばり方をみると、ついついおかしくなってしまう。

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平日の日中、あるいはスキマ時間さえあれば常に仕事の考えごとをしている。いまもこれを書きながら、あの文書を直して、プレゼンをつくって・・などと考えている。作業時間が取れれば進むが、事前に考えておかなければ進むものも進まないというのが最近のほとんどである。

10年も前だが、入社してすぐのころは仕事後にAJITOにいって作業をするのが定番であった。今は家でご飯を食べ、寝かしつけをはじめてからがその時間である。この時間は興味のあるものを自由にみつつ、明日に向けて考えごとをしたり、反省したり、返事をしたりしている。

幸いなことに仕事を嫌いになることもなく、忙しさの波はあるものの、淡々と楽しく仕事をしている。10年前の自分が聴いたらどう思うだろうか?「まあそんなもんだよね」といいそうな気はする。思ったよりも忙しくないね、と言うかもしれない。それともまあ悪くないね、というだろうか。ただまあ、そのときなってみなければわからないものだ。