子供が生まれてからというもの、家族と過ごす時間がぐっと増えた。
休日は朝から散歩をし、花の色を声に出しながら(「あか!きいろ!」)、あちらこちらと寄り道しつつ駅に向かう。踏切をみたり(「かんかん!しゃだんき!」)、電車を3本ほど見送りつつホームから眺めたり(今は「ぎんざせん!」ブームだ)、ラーメンを食べたりしている。
思えばコロナでも家で過ごす時間が増えた。それまで外食なりでかけていたのが、家で楽しむ時間を増やした。本を読み、家事をして、ゲームをして、また家でご飯を食べた。外出は増えたものの、それ以来すっかり家でご飯を食べるのが楽しみになり、わいわいと食べている。食べながら散らかすのは日常だが(さっきもたらとパンをうしろに放り投げていた)、家のなかなのでまあ片付ければいいか、となる。
片付けの時間は日に日に増えているが、これもまた今だからこそだなあとも想像している。なぜこのパネルのピースがソファの下に・・?ということが毎日のように起こる。想像を超えた散らばり方をみると、ついついおかしくなってしまう。
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平日の日中、あるいはスキマ時間さえあれば常に仕事の考えごとをしている。いまもこれを書きながら、あの文書を直して、プレゼンをつくって・・などと考えている。作業時間が取れれば進むが、事前に考えておかなければ進むものも進まないというのが最近のほとんどである。
10年も前だが、入社してすぐのころは仕事後にAJITOにいって作業をするのが定番であった。今は家でご飯を食べ、寝かしつけをはじめてからがその時間である。この時間は興味のあるものを自由にみつつ、明日に向けて考えごとをしたり、反省したり、返事をしたりしている。
幸いなことに仕事を嫌いになることもなく、忙しさの波はあるものの、淡々と楽しく仕事をしている。10年前の自分が聴いたらどう思うだろうか?「まあそんなもんだよね」といいそうな気はする。思ったよりも忙しくないね、と言うかもしれない。それともまあ悪くないね、というだろうか。ただまあ、そのときなってみなければわからないものだ。