2018年5月21日月曜日

作ること

何かを考えて、書いて話して弾いて作って見せる。たまにどうしてこんなことをしているんだろうと思いながら、でもやっぱり好きなことはこれだと思いつつ、自分の手癖を楽しみながら今日も何かを作ってみる。何かを作るというのは、僕の中ではとても大事なことだ。大事なことだというか、大事なことにしていて、大事なことになってきたと思う。

今この時点でないものを作るというのは、簡単ではない。もし今ないものを想像して、それがどのようにあるべきかを答えられるなら、それはとても素晴らしいことだ。何か今ないものを作るというのはいつも難しく、ちょっとした大胆さをもって進めないといけない。特に自分がやったことのないようなものというのはより難しく感じてしまう。そして、自分がやったことのないようなことに取り組むときほど本当は面白い。何かやったことをないことをやりはじめたときに既に、やったことのないときの自分とは全く質の違うさまになっている。経験は人を変えてしまう。

何かをしなければならない。あるいは何かをしてくれと言われていて、心のたくさんの部分を占めてしまっている。そういうときにはなぜかやりたいことがたくさんでてくる。試験期間中の学生のとき、テストが終わったらあれをやってみるんだって、何度思ったことだろう。どうもそういうところが人の頭のなかにはあるらしい。そして、嵐が過ぎ去ると多くを忘れてしまう。

何かに衝き動かされるとき、大人だからそういうなんだかわからないものに身を委ねるのはみっともないと思ってしまったり、あるいはよくわからない怖さがあって、できない。そういうことがよく起こる。何度も何度もそうやって動きを止めていると、ある日本当に止まってしまう。時が経ち、いろんな暇がなくなり、すべきと思えることが増えると、どこかうまく回るような場所ができて、だいたいのことはうまくいくようになる。そして、時が過ぎ去ると多くのことを忘れてしまう。

作るということは、時間がかかる。熱を保たないといけないし、体力をつかうし、何より何を作るのか考えなければいけない。ないものを作るのは、ないものを知らないといけない。でも実はないものを全部知ることなんてできなくて、ちょっとおもしろいと思ったものを、小さくてもいいから作ってみるということのほうが、よっぽど作り始めやすい。そうすると、作ったことのないときの自分とは違うものの見方になっている。

子供のころはこれが自然にできていて、何をやってもやったことがなくて新鮮で、面白いように思えていたと思う人も多いかもしれない。これは2つの意味で多分間違っているんじゃないかというのが僕の考えだ。子供であるかどうかは関係ないし、やったことがあるかどうかも関係はない。面白さを捉える力そのもの次第だ。好奇心とは、面白さを捉える力だ。何かを面白いと思えるようになることは、いつも何かを作ろうとすることの始まりになっている。自分がやったことのないものについて、面白さを感じられるかどうか。あるいは自分が面白いと思ったにした事柄について、相変わらず面白いと思えているか。そういう面白さの衝動的な面を、横から覗いてみる。すると、自分の面白さを面白がれるようになる。自分の面白さを覗くことは、自分の作りたいものを知ることだ。

2018年5月14日月曜日

集中力と好奇心

人は誰しもまだ自分に足りないと思う部分があるものだと思う。僕自身がそうで、事あるごとに前の十分を改め、一日がおわれば一日を改める。もしまたそのときがくればもう少しよく振る舞い、もう少し納得のいく考え方ができたかもしれない。そう思うと一日が終わっている。

未熟さとは、何か足りない状態であるだけではなく、足りない物事を捉える機会である。まだ熟れる余白や間があり、あるいは隣の果実に比べて色づきが足りなかったりする。それを見て、自分を塗りあわせていく。どんな陽にあたればあんな色づきになるのだろうと観察し、下から上から見回して、ようやく自分と違う部分が少しずつ見えてくる。隣の芝生が青いとは、未熟さを知ることだ。

ある物事について深く考える。深く考えているときは気持ちがいいし、視界が明瞭になり、即断し、経験に基づいて様々な考え事が絶え間なく進んでいく。深く考えることは、集中の入り口である。僕たちは普段考え事をしていると思ったら、気がつけば集中の入り口に立っている。集中の中に入ると、長くて短い考えの渦の中に身を委ねられる。その中で気がつけば一日が終わる。

集中力の長さ、深さ、入るまでの時間について。集中するまでに長い時間を要するが、一度集中すれば深く長い。あるいは、細切れの時間にたびたび集中するが、一度の時間は短く、浅い。例えば試合中のスポーツ選手や千人の前で弾いている演奏家、対局中の将棋の棋士、コーディング中のプログラマ、あるいは執刀中の医者。集中力は仕事の質を変えているだろうと想像できるし、集中している対象も様々である。膨大な知識と経験を組み合わせて、適切な手段と方法を選び続ける。フィードバックを得ればその最中に反射的に答える。まだ問題に深く入り込んで頭のなかに依存関係や前提を再構築する。これを繰り返す。するとすっかり集中の深みに潜り込んでいく。もうそれ以外のことは考えていないし、むしろ何も考えてはいなくなる。

長く深く集中するための方法は、準備することだ。四六時中それについて考え、下調べをして、頭の片隅で考えを転がしておく。意識せずとも対象について考えるようになると、集中の入り口に立っている。常に考えていられるものというのは大抵いつも面白く、好奇心が湧く対象である。常に考えるというのは存在せず、常に考えていないからこそ常に考えられる。ずっと考えるというのは疲れてしまう。意識せずともそれについて考えているようになると、あるいは考えてしまうようになっているといつの間にかそうなっていくように人間はできているのかもしれない。頭の片隅にあるとは良くできている表現である。片隅に置くことが、最も深い集中を作る。まだ折りたたんでいない洗濯物でさえも、そうであったらいいのに。

好奇心を失うことは、熟れることだ。なぜだかよくわからないがなぜそれがそのようになっているのかについて深く考えてしまうのである。好奇心は考える事の源泉だ。ぽっかり好奇心が無くなってしまえば、あっという間に集中力は消えてしまう。

2018年5月1日火曜日

動物農場を読んだ

「すべての動物は平等である。だが一部の動物は他よりももっと平等である。」

短いおとぎ話でありながら、政治的革命と蜂起、事実の歪曲と破滅、沈黙と貧困など、多くの要素が散りばめられているすごい本だった。決してそういう概念について説明することなく、隠喩においてメッセージを伝える。小説ならではの表現を味わえるし、大いにこれらのテーマについて考える時間を与えてくれる一冊だ。

話はシンプルだ。農場の中の動物が蜂起し、農場のオーナーを追い出し、動物自ら農場を運営する。鞭をもったオーナーもいなくなり、自由を謳歌する。しかし新しくリーダーについたブタたちがやがて富を搾取するようになる・・。説明すると3行で終わってしまうのだが、この世界に入り込んで読むと鮮明に想像を掻き立てられる。ただセリフを繰り返すだけの羊、飼いならされる犬、賢いが沈黙するロバ。もともと妥当人間だったのが、人間を追い出してしまってからはそのフレーズも虚しく響く。隠される事実。搾取される収穫物。労働は減らない。徐々に書き換えられる規律。声をあげない動物たちはやがて破滅に向かう。

そしてこの小説にもやはり時代性がある。出版は1945年、世界大戦の最中。社会主義の批判のおとぎ話としてイギリスで出版されようとしていた。しかしながら検閲の影響でなかなか出版できない。私の読んだハヤカワ文庫山形浩生訳では本文末にオーウェル本人の「動物農場」序文案: 報道の自由がある。これがまた時代的背景を説明表している。出版の断れれた背景なども書かれていて実に興味深い。

去年ベルリンやクラクフに訪れたときに切実に感じた強制収容所、大量追放、そして検閲といった事柄について。その事実は文章でみても、本当にそういうことがあったのかどうかすら危ういほど信じ難いものに思える。それが当時も離れている場所の人々がそうだったのだとしたら、生活の自由と穏やかさにかけてこういう物語が受け皿になって伝搬していったのだろうというのは想像に難くない。

訳者あとがきが本書の考察にあたって自分との会話を深めてくれた。
ここでのオーウェルの批判は、独裁者や支配階層たちだけではなく、本当に不当な仕打ちをうけてもそれに甘んじる動物たちのほうでもある。 
(p. 205 訳者あとがきより)
この視点は読後にあとがきを読んではじめて持った。「すべての動物は平等である。だが一部の動物は他よりももっと平等である。」これを避けるにはどうしたらよいか。どういう行動をすべきか。権力そのものだけでなく、権力を生む人々の構造そのものに対する批判でもある。「動物農場」の文章は今も生きている。

2018年4月16日月曜日

雪の断章を読んだ

佐々木丸美さんの「雪の断章」を読んだ。舞台は札幌、雪。一気に読み切ってしまった。
迷子になった五歳の孤児・飛鳥は親切な青年に救われる。二年後、引き取られた家での虐めに耐えかね逃げ出した飛鳥に手を伸べ、手元に引き取ったのも、かの青年・滝杷祐也だった。飛鳥の頑なな心は、祐也や周囲の人々との交流を経て徐々に変化してゆくが…。ある毒殺事件を巡り交錯する人々の思いと、孤独な少女と青年の心の葛藤を、雪の結晶の如き繊細な筆致で描く著者の代表作。 
「BOOK」データベースより https://www.amazon.co.jp/dp/4488467040
本屋でふと手に取った一冊。普段読まないタイプの作品だった。推理小説というラベル付けがあるとどうしてもそのトリックが気になってしまいがちになってしまうことを反省した。最初の100ページですっと引き込まれていった。飛鳥が成長していく様子、心の変遷、内面のやりとり。一つ一つの言葉遣いや情景描写が飛鳥や裕也のそのときどきのあり方を鮮明に伝えてくる。

でてくる場面は少ないし、人物も多くはない。全体を通してドラマを感じるのは、やはり時間経過に伴う飛鳥の変化だろう。そして雪と詩がところどころで色とリズムを加えていく。大変美しく、切ない物語だった。

2018年4月8日日曜日

グレート・ギャツビーを読んだ

『グレート・ギャツビー』はスコット・フィッツジェラルドにより1925年に書かれた小説である。爽やかで、テンポよく、個々の出演人物のキャラクターが大いに語り、センチメンタル。

2018年にこの作品がもし日本の舞台を置き換わるならば、どういう描画になるんだろう?海沿いの広々とした邸宅というののイメージが僕にはないし、アメリカの東部と西部の土地のイメージもない。しかもこれは1925年の物語。今のニューヨーク、サンフランシスコという土地が持つ言葉のイメージとはかけ離れた手触りが伝わってくる。

冒頭と終わりの文章も好きだけど、7章の掛け合いと収束がグレート・ギャツビー全体をスリリングにしている。少し声に出してそれぞれの人物のやりとりを追ってみると、息遣いが直に感じられる。最後は滲むように締める。

2018年4月1日日曜日

老人と海を読んだ

『老人と海』はヘミングウェイの1952年の小説である。130ページ程度なのですぐに読み終えてしまう。昨日夕食の蕎麦を食べつつ読み始め、今日の朝少し読んで読み終わった。

老人と海のストーリー自体は至ってシンプルだ。箇条書きにすれば10項目もないうちに出来事は書き出せてしまう。登場人物も少ない。その題目の通り、老人と海が描き出される。静けさと、戦いと、孤独さと、暗闇。多くは語られないし、描写も細かくない。それでも1つのストーリーとして考えさせられるのは、老人のこだわりや職人観、あるいは人生観が一貫して老人の言葉に現れているからかもしれない。こうは書いたものの、実際の書かれ方は朗々と老人が考え方を語るというのとはまったくの真逆である。無言と独り言と、あるいは独り言のような語りかけの断片的な言葉しかない。

最近、なるべく昔の作品を改めて読んでいる。なぜこの作品が後世に残ったのか。人々に影響を与え続ける文章や作品というのはどういったものなのか。そうしたことをまた新たな視点で考えさせられる作品であった。

2018年3月24日土曜日

20代を振り返って

来週30歳になる。気がつけば30歳になっているのだろうと呆けていたが、いざ明後日となるとああもう20代は終わるのだなという気持ちになってきた。目黒川は桜日和、花粉まみれ、人だかり。散歩していたら何かこのタイミングで文章を書いてみようと思い立った。

20歳のころ、大学3年になっていた。少しずつプログラムを書いたり、課題や試験に追われながら、毎日のようにクラシックギターを弾いていた。特にマンドリンオーケストラの友人たちや先輩後輩たちの影響でいろんな音楽を競うように聴いて、薦められるがままに本を読んだ。レコードショップでバイトしている友人に大量のクラシックCDを薦められて聴き、セミプロのようにギターを弾いている先輩にジャズを薦められてとりあえず聴き、法学部の友達に古い小説を薦められればとりあえず読んだ。飲み会になれば音楽と哲学の話をして、ひたすらビールを飲み、また朝ギターを担いで学校にいく。紛うことなきモラトリアム大学生活である。その頃に読んだ本はほとんど実家に送ってしまっているし、内容もほとんど忘れてしまっている。タイトルすら思い出せないものがほとんどだ。

お金をもらってプログラムを書くようになったのも20代になってからだ。先輩に紹介してもらった特許法律事務所で事務職のバイトをしていたところが始まりだった。大量のWordとExcelファイルを手打ちしつつ、物理的なファイルを事務所中に縦横無尽に運ぶ仕事だ。細かい作業をVBAでこっそり自動化し、ExcelからInternet Explorerを立ち上げて管理システムへの入力をするツールを書いて楽をしていたところ、いつのまにかプログラムを書いて何かするほうがメインの仕事になっていた。30-40人程度の部署だったので、少し効率が上がるだけで仕事がぐっと捗るようになる。不便なところを解消すればするほど目に見えて作業が捗っていくので、人に使われるプログラムを書くのはとても面白いことだなあと思ったのである。

その後はインターンをしたり、大学院に進みつつ研究をしたりしていた。プログラムを書くのがある程度得意かもしれないと自覚するのは今の会社のインターンにいったときである。自分の所属していた学部はそこまでプログラムを書くのが得意な人がいなかったので、Webの会社のインターンにくるような人たちは果たしてどれくらいプログラムを書けるのだろうかという好奇心があった。参加してみると、それなりに自分はものを作れるっぽいということがわかった。また、複数人でプログラムを書くというのは面白いものだなと思ったのもこのときだ。当時は職業プログラマになろうとは思っていなかったのだけど、気がつけばプログラムを書くことを仕事にしているのだからわからないものである。

その後もプログラムを書いて身銭を稼ぎつつ、ひたすら大学の図書館と自宅を往復していた。プログラムを書くようになると技術書をなんとなく読めるようになる。大学の図書館は最高だった。自分がいた矢上キャンパスの図書館にはWeb開発に関する書籍は少なかったのだけど、他のキャンパスからの取り寄せが簡単にできた。Web関連の技術書が豊富にある湘南藤沢キャンパスから取り寄せることができたため、気になった本は翌日には手元に届く。修士2年のときには年間で100冊超借りていた。5000円の技術書を気軽に買うお金も置くスペースもなかったので、大変ありがたかった。借りた本はすぐ研究室の自分のデスクに山積みにし、合間の時間に動かして遊んでいた。

今振り返ると、Webに関することだけではなくて、経営工学に関するトピックを大学で広く触れられたのはとてもよかった。統計の基礎理論、会計学、ヒューマンエラーに関する実験と理論、オペレーションズ・リサーチなど。私は試験とかテストの類が好きではない(好きな人がいるのだろうか?)ので、当時はひどく面倒に思ったが、結局どれも自分の今の仕事に活きている。僕にとってプログラムを書くことは書くことそれ自体よりも、どういう問題を解くかが難しい。問題を設定するために、これらの学問は大変役にたっている。

研究室が自由だったのもよかった。週ごとの報告や論文読み合わせなどはあったが、自分の好きなインターネットあるいは人工知能に関する具体的な応用事例を中心にリサーチする時間をとれたのはとてもよい時間だった。論文は読み始めるととても効率的に量を読めるし、ある領域の論文をまとめて読んでいくと頭のなかでロジックが固まっていくのがよかった。当時は元住吉に住んでいたので矢上キャンパスへは自転車で10分かかずにいけた。朝起きて矢上のパン屋にいき、朝飯をかって研究室でパンをかじりつつ、ひたすらPCを触っていた。帰るのは24時くらい。修士1年の末からは研究をしつつTrippieceの開発もしていたので、今よりもだいぶ忙しく過ごしていた。当時の記事をみるとなにやら頑張っているようなことを書いているが、今見返すと若干恥ずかしい。あまり文章のテイストは変わっていないようだ。

新卒として今の会社に入社したのは24歳のとき。入社してからは正直あっという間だというのが感想だ。やっていることも触れている人たちもどんどん変わっていっているが、日々ひたすらにプログラムを書いて議論をしていたらあっという間に時間が流れていた。プロとして仕事をするのは、大変であり、楽しいことだ。自分で問題を解くのもさることながら、多くの人と意見を交わし、競合を分析し、戦略を考え、論理を整理し、文章を書き、人を動かす。仕事は総合格闘技で、みんなそれぞれのやり方で携わっている。今は相変わらずインターネット、そして広告の仕事をしているけれど、次の10年ではきっと同じテーマでも違うテーマでも、もっと面白い仕事になっていくだろうと今から楽しみになっている。奔放で、とある調査曰く"悪魔の代弁者"のような自分を受け入れ、裁量と環境を作ってくれた同僚に感謝している。

僕にとって20代はどういう時間だったんだろう。ラベルをつけるなら、前半はひたすらにカオスで、後半は秩序だったかもしれない。10年間を通してずっとやっていたことは、プログラムを読み書きし、大量の本と向き合い、音楽を聴き漁り、今日も飽きずにぽろぽろとクラシックギターを弾き、お酒を飲みながら好きな人達と好きなことについて語ることだろうか。ああ20代。こう書いていると次の10年も変わらない過ごし方をしている気もしてきた。けど、今毎日が毎日違うように、きっと全然年を重ねて行くのだろうなあと思う。相変わらず、大好きなエンジニアリングと、インターネットと、そしてものを読み書きすることを楽しみながら、次の10年の仕事を作っていきたい。

また酔っ払いながら徒然と文章を書いたり話をしたりしていくと思いますが、引き続きみなさまよろしくお願いいたします。 wishlist

2018年3月17日土曜日

規模と質とプログラム

素晴らしいプログラムを見ると感動する。思いもしていなかったものが実現されているとはっとし、なぜそれが可能なのかを理解し、自分がなぜそれを先にできなかったのかを悔やむ。プログラムを書くことは理知的ながら感情的で、抽象的だが肉体的なものだ。

仕事をしながらプログラムを書いていると、自分は効率が最優先になる。効率を上げることは書く時間を短縮することも去ることながら、書いたコードが最大限の効果を発揮することを思考することにある。ソフトウェアは無限にスケールする。実現できていることが役に立つなら、想像もしない多くの人に利用される。今日書いたコードが明日には顔を見たこともないひとに意図せずに触られ、生活に組み込まれ、利用される。結果は数字となって解釈可能になり、どのような反応があったのかを限りなく私たちが認知可能な範囲のものを数字に落としこめる。

伸び続けなければならない組織であることは、効率的なコードを書くことを強いる。効率は競合優位であれば増し、組織を効率に浸す。それは自らを加速して、他を圧倒し、組織を超えて成果になる。それは効率的な市場を作る元になる。これは逆説的で、伸び続けなければならない組織がある背景には競争と、市場のカバレッジ及び拡大のあり方が前提になっている。つまり、伸びなければならない組織というのは制約からそうなっている。

プログラムの本質は何かをできるようにすることだ。ソフトウェアで何かを実現することだ。

私たちは人を、そして自分を、多くの人を満足させたことで評価する。これは危うい。評価しているように思える。多ければ多いほどそれは競争優位になり、利益になり、インパクトであると言う。でもそれは結果による評価になる。なので私たちはプロセスをみて評価を試みたり、方法についてあれこれ組織内や、あるいは組織外のアプローチについて議論し、評価をしてみる。結果に基づかない評価は本質的ではない。結果は、プログラムが何を生み出したかにある。

ソフトウェアで何かを実現できるようにすることは、結果の面でわかりやすくなりすぎる。それは実現されたものが鮮明であり、まわりを納得させるものであればあるほど、自明に思える。実現された以前と以後では世界が変わっていて、ソフトウェアの世界に落とした時点でソフトウェアの加速度に置き換えてしまっている。ソフトウェアの加速度を更に良くし、更に継続可能にする技術ばかりが評価されてはいけない。ソフトウェアで問題を解決可能にするように問題を設定し、見せることが本当に価値の源泉である。

伸び続けることばかりを関心の中心に置くと、つい生まれた世界を見誤ってしまうことがある。たとえ10人のためにつくったソフトウェアであっても、それがその人達の世界と価値観を変えたなら、やはりそれは今までとは全く別の世界になっている。スケールさせる技術ばかりに目を奪われていないか。そのときに実現できたことの尊さとソフトウェアの素晴らしさを忘れていないか。収益構造に目を取られて何かを変えること自体の効用を見失っていないか。そして何より、一人のエンジニアとして規模を重視しすぎていないか。

規模を重視するのは素晴らしいことだ。それはインパクトそのものだ。そして伸び続けなければならない組織ではスケールアップかスケールアウトのどちらかしか選択肢はない。そういう制約のなかであっても、自分が書いたプログラムがその10人に生んだひらめきと、生き生きとした感覚と、そして何を具現化したのかということを書き手の実感として失ってはいけないのだと、改めて思う。

2018年1月14日日曜日

2018年に読んだ本

2018年に読んだ本をまとめておく。随時更新。

2017年

最終更新 2018/05/01

小説

* 忘れられた巨人 / カズオ・イシグロ(著),‎ 土屋 政雄 (翻訳)
* ふたりの証拠 / アゴタ クリストフ  (著),‎ 堀茂樹 (翻訳)
* 書店主フィクリーのものがたり / ガブリエル ゼヴィン (著),‎ 小尾 芙佐 (翻訳)
* すばらしい新世界〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫) / オルダス・ハクスリー (著),‎ 大森望  (翻訳)
* 老人と海 (光文社古典新訳文庫) 文庫 – / アーネスト ヘミングウェイ (著), Ernest Hemingway (原著), 小川 高義 (翻訳)
* グレート・ギャツビー – スコット フィッツジェラルド  (著), Francis Scott Fitzgerald (原著), 村上 春樹  (翻訳)
* 雪の断章 (創元推理文庫) 文庫 – 佐々木 丸美  (著)
* 動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫) 文庫 - ジョージ・オーウェル (著), 水戸部功 (イラスト), 山形浩生 (翻訳)
* 愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー) - レイモンド カーヴァー  (著), Raymond Carver (原著), 村上 春樹 (翻訳)

その他

* 臆病者のための株入門 / 橘 玲
* 言語を生み出す本能 / スティーブン・ピンカー
* いまさら聞けない ビットコインとブロックチェーン / 大塚雄介
* アフター・ビットコイン―仮想通貨とブロックチェーンの次なる覇者 / 中島真志
* 未来型国家エストニアの挑戦  電子政府がひらく世界 / ラウル アリキヴィ、前田 陽二
* 井深大 自由闊達にして愉快なる―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
* 「ハードウェアのシリコンバレー深セン」に学ぶ−これからの製造のトレンドとエコシステム / 藤岡 淳一
* 信用の新世紀  ブロックチェーン後の未来
* 人間の未来 AIの未来 / 山中伸弥,‎ 羽生善治
* エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング / 広木 大地 | https://ajito.fm/20/ にてお話した
* ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現 / フレデリック・ラルー (著), 嘉村賢州 (その他), 鈴木立哉 (翻訳)
* バリュー・マネジメント―価値観と組織文化の経営革新 リチャード バレット  (著), Richard Barrett (原著), 斎藤 彰悟 (翻訳), 駒沢 康子 (翻訳)

2017年に読んだ本

振り返りでまとめようと思っていたのだけど、買ったかどうかすら忘れやすいので備忘録として貼っておく。順不同。

小説

* 日の名残り / カズオ・イシグロ
* 浮世の画家 / カズオ・イシグロ
* わたしたちが孤児だったころだったころ / カズオ・イシグロ
* 女のいない男たち / 村上春樹
* ロング・グッドバイ / レイモンド・チャンドラー
* 夜と霧 / ヴィクトール・フランクル
* プラハの春 / 春江一也
* タイタンの妖女 / カート ヴォネガット ジュニア
* 逆行の夏 ジョン・ヴァーリイ傑作集 / ジョン・ヴァーリイ
* 高慢と偏見 / ジェーン・オースティン
* 沈黙の春 / レイチェル・カーソン
* 一九八四年 / ジョージ・オーウェル
* プラチナデータ / 東野圭吾
* 悪童日記 / アゴタ・クリストフ

技術書

* テストから見えてくるグーグルのソフトウェア開発 / ジェームズ A ウィテカー;ジェーソン アーボン;ジェフ キャローロ
* レガシーソフトウェア改善ガイド / クリス・バーチャル
* レガシーコード改善ガイド / マイケル・C・フェザーズ
* テスト駆動開発 / Kent Beck (和田さん訳)
* マイクロサービスアーキテクチャ / Sam Newman
* アイソモーフィックJavaScript / Jason Strimpel、Maxime Najim
* Real World HTTP / 渋川 よしき

その他

* GE巨人の復活 / 中田 敦
* スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン / カーマイン ガロ
* DEEP WORK / カル・ニューポート
* 〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則 / ケヴィン・ケリー
* アメリカの鏡・日本 / ヘレン・ミアーズ

他にもあったような気がするが忘れてしまっている・・。