2018年10月27日土曜日

働くことに対する散文

まあなんとも文章にし難いことといえば、理解したときには仕事が終わっているというのがあります。何かを実現する過程というものは、慣れると非常に速やかなのですが、やはり問題領域が何なのかということを理解する時間が長くなる。それは対象が複雑なほど。

自分の書いているプログラムはさほど複雑ではないし、量も多くはないけれども、とても効果的であることが多い。なぜなら問題がなぜ複雑になってしまっており、その背景を解くための時間を割き、次に解く問題の時間を削る。そういう仕掛けを考える時間が大変多い。

自分が外に話すことの多くはそういった問題、既にあったドメインの難しさを難しいままに表現してしまった抽象に関する手解きが多い。このドメインの解釈と対処法を深めずに出してしまったアプローチに対する対処法については、今後20年かけてでも各種のシステムを苛むと思う。

自分が何に時間を使うのかは自分の選択である。しかしながら自分の中に、過去の失敗とそれに対する能力の養成を必要とし、失敗をしないようにという気持ちが強い。新しいものが市場、自分の身の回りに必要とされ、それでもシステムは人間系と関わりながら、伸ばされ続けられるようにしたい。

これは大変難しく、面白い課題になっている。だからこそ今でもエンジニアとしての時間を過ごそうと思っている。どういう場面であれ、どういう物事であれ、そういった複雑性に対処する場面が多く、その複雑性を後回しにする判断をするときは非常に悔しい。でも組織では合理的でもある。

その合理性をひっくり返す程に力を身に着けなければ判断を翻すことはできない。そういう場面をみて、自分は判断を重ねてきた。でもこの判断の積み重ねは大変わかりづらいものである。渉内的に伝わったとしても、外には評判でしかない。評判というのは、中での成果でしかない。

その難しさが複雑性への対処のインセンティブを下げる。難しい問題ほど評価されないように見えてしまう。それを補うため制度があり、評価があることは重要だ。だから自分が今の評価制度やチームをよく思う気持ちはそこにある。これは時間がないと養成できない。

総合的にみると、市場の曖昧さを象徴している。いい仕事、その曖昧な表現が自分たちの仕事の良さを的確に表現できているか。あるいは、仕事は表現として成り立っているか。その環境を僕は作りたいし、そういうチームでありたいと思っている。

https://twitter.com/suzu_v/status/1055851413895409664