新宿の紀伊國屋でふらっと手に取った。前からタイトルは知っていて、なんとなく気になっていた本だった。
読み終えて、怖かった、というのが最初に出てくる感想である。
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いわゆる推し活を題材にした小説なのだが、推し活そのものを肯定も否定もしていない。そこが怖い。誰かを好きになる、応援したいと思う、その気持ちは純粋で、読んでいて共感できる。寄り添いたいという感情に嘘はない。
ただ、その気持ちを掬い上げる仕組みがよくできている。感情が経済性と噛み合うようにデザインされていて、人が夢中になればなるほど回り続ける構造がある。仕組みとしての優秀さがわかる。わかるからこそ怖い。
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もう一層怖いのは、わかっていても戻れないということだ。小説の中の人物たちも、どこかでおかしいと薄々感じている。でも止まれない。楽しさと怖さは同じ構造の裏表で、どちら側に見えるかは人によって違う。同じ場所にいても、ある人には居場所で、ある人には沼である。
誰かに寄り添いたいという善意が、経済性とともにうねって、気がつけば誰も望んでいなかった場所に着地する。一人一人の気持ちは間違っていないのに、全体としておかしなことになっている。そういう構造を、この小説は淡々と描いている。
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何かにはまるのはアイドルに限った話ではない。育児、仕事、趣味、なんでもそうだ。はまっているとき、そこには合理的なだけではない理由がある。あるいは、自分で理由をつくっている。
厄介なのは、その理由が自分の頭で100%考えたものだと思えてしまうことだ。でも実はそうではない、ということがしばしばある。自分の意志で選んでいるつもりが、仕組みに乗っている。誰にでも当てはまる話で、違うのはその度合いだけである。以前読んだショシャナ・ズボフの『監視資本主義』にも似た怖さがあった。あちらはテクノロジーの側から描いていたが、この小説はもっと手触りのある、感情の側からそれを見せてくる。