2012/05/01

節目と音楽


http://kawakei.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/06/05/kpict2660.jpgより


もう5月ですね。昨日は結婚式で演奏してきました。僕は演奏のみしに行きましたが、やはり節目というのは鮮やかです。例えば子供が生まれて親戚が一人増えたり、いとこが高校に入学したり、年齢がちょうど5回巡って還暦になったり。そういう時間的なものが作り出す物事が、最近はより人間的で尊く感じるようになりました。

演奏は明治記念館で行いました。明治記念館に行くのは2回目、3年ほど前に演奏で行きました。そのときは確かサークルのメンバーと一緒に行った記憶があります。時々こうして呼ばれて演奏することというのがあるのです。ありがたいことです。毎回、演奏に対する感覚というのが変化しています。「させていただく」から、「時間をつくる」に。そして「時間をつくる」から、「音楽を愉しむ」へと、僕自身の経験や心の余裕と共に変化しています。

思えば催事ごとにはいつも音楽があるものです。自分が演奏をしない時でも、その場その場でどんな音楽が流れているのかに注目してしまいます。きっとそこで流れている音は、その場所の空間と、時間が在るということを恣意的に表現しようとしているのではないかと、勘ぐりたくなってしまうのです。運営側からしたら、僕は面倒な客かもしれません。でもたまにあるのです。恣意的ではなく自然に流れているときが。そういうときには、感嘆の意を施設の方に届けたくなるものです。ほんと、すごいんですよ。場所と時間に溶け込む音楽というのが、たまにあるんです。

そんなことを思いながら、なるべく自然に演奏をしようと思っていた一日でした。いや、しようと思うことが既に自然発生的ではないのでは。何も考えないということは難しい。難しいということは既に意識をしてしまっているということで。時間は勝手に経つものですから、それについて正面から考えること自体が不恰好なのかもしれません。