2021/07/19

腰を据えて取り組むこと

あちらこちらへ意識をそらし、いろいろなことに頭を巡らせ、明日自分の処遇がどうなるかを考えながら事に取り組む・・そういう環境の中で磨かれる力もある。

また、長く取り組むことを前提に、小さな波を気にせず、腰を据えて成果を出すために取り組む・・・そういった辛抱のなかで磨かれる力もある。

1つ1つの仕事は小さいことで、これを数年数十年に渡って続けなければならないこともある。自分は長く物事に取り組む方が好きで、これは案外困難なことらしい、というのが最近に色々な人と話す中でわかってきた。そして、好奇心を持った物事がたくさんあるというのと、何かについて長く好奇心を持ち続けるというのはまた別の強みなのではないか、と考えるようになった。ソフトウェアエンジニアたるもの、ソフトウェアのあらゆるものに好奇心をもって取り組むべきなのだ・・!と考えていた時期もあった。しかしすべての好奇心を燃やすというのはなかなか持続しない。しかし、少なくとも自分が興味を持ったいくつかものについて長く取り組むというのは、好奇心のスピードではなく、小さな変化に気を払って、ちょっと触って試して見続けることで可能になる。好きなことへの取り組み方は自由なのだと思う。

特にキャリアの初期というのは焦りもあるし、成果を出すことを急ぎがちである。自分も例にもれずそうだった。色んな人と自分を比較して、足りない部分を埋めるべく必死に本を読み漁り、いろんな分野に顔を出した。刺激的だし、常になにか成長していないと焦っていた。今も成長痛がほしいと思いながら頭を殴られるような本を求めている。けれど、いまの欲しさと当時の欲しさは違うように思う。生活を満たすために実力をつける、というのとは違い、自分が何に興味を持っているかをしっかりと感じ、その興味を持ったことにじっくりと取り組む。その面白さがようやくわかってきたのかもしれない。

腰を据えて取り組むというのは案外難しい。キャリアのこと、給与のこと、競争環境のこと、知人たちのこと、チームのこと、社外のこと・・、様々なことを気にしがちなのが人間である。自分の中にある好奇心をちゃんと感じて、何かに長く取り組むということは、将来の自分を変えてくれる。しかし、何かしら成果をあげて信頼された状態になければ焦りはあり、長く腰を据えて取り組む土壌というのは育ちづらいものだと思う。これはいくら周りのサポートや環境が整っていても、整いすぎるということはない。腰を据えるには自分のなかにある何かが質的に据えた状態にならなければ、そうはならない。最初は小さな成果であっても、自分がなにに取り組みたいと思っているかを捉え、取り組み始めるにはおそすぎることはない。

自分がそうであったように、今は誰かがそういう取り組みをしようとしているときに、ちゃんとそれに気づき、腰を据えられるようにサポートしてあげられるようになりたいと思うようになった。これは人によって変化が違う。しかし、長く一緒に仕事をしていると変化に気づく。そういうタイミングを見逃さず、変化を捉え、注力させられるようにすること。これが能力発揮の場を長くつくるということなのだろうなと、最近は考えている。