2022/12/28

感謝の一年

今年も早めに仕事納めをして、まったりと家族で過ごしている。

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今年はどんな年だったと聞かれれば、多くの人に感謝をする年であった。事業においても役割が変わり、より多くのエンジニアのみならず、多くの部署の多くの役割をもった人たちと会話をする時間が増えた。これまで組織として出力していたものが、多くの人たちによって支えられていたのだということに改めて気づく機会でもあったと同時に、経営にかかわるなかでレバレッジを効かせるポイントがいくつもあることを知る機会ともなった。

広報活動、あるいは採用にかかわる時間が増える中で、より多くの社外の方々とも関わる機会が増えた。本当に多くの時間を皆さんにいただき、忙しい中会話する時間をつくっていただいた。各種の場で話す時間をもっていただいた皆さんに改めて感謝したい。面接、登壇、面談、インタビュー、あるいはちょっとした雑談のなかで、会話のなかで自らへの期待や環境について知る場をいただいた。今年の前半はCTOを引き継いでどうしていくか、という手探りも多かったが、聴き、話す機会によって徐々に考えが言語化されていき、とりわけこの半年は確信をもってお伝えすることができるようになってきた。社内にあるものを社外に発信することの面白さと、中にある面白さを言語化することの難しさを同時に感じ、如何にして想いをのせて伝えるかに苦心した一年でもあった。

伝える時間が増えたように振り返ったが、これまでも多くのチームメンバーや同僚と話をし、社外の方々とも話をする場はあった。それが増えたように感じるのは、いままでよりもコンテキストを共有しない場で短い時間で的確に伝える要件が増えたからだろう。いままでは一言で済んだものが、三言必要になる場面がある。これを見分け、かつ面白く伝えるというのはなかなかに判断力のいる仕事だった。そういう点で伝える仕事のプロフェッショナリズムというのはあるのだろうなと感じる場面が多かった。うまくやれたという肌感はあるが、一方でもっとうまくやる方法も数々見つかり、あとはどう投資対効果を高めていくかという構造にできたのは収穫であった。

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技術的な挑戦という意味でいうとこれまででもっともない年だった。多くの人の挑戦を聴き、羨ましく思い、素晴らしいなと称賛し、そしてなおやや寂しさを感じる時間も多かった。はたまたどうすればこれを両立できるかなどと考えるのだが、組織経済を学ぶ時間を費やすとなるとどちらもとるには難しかった。

一方で組織がどう動き、どう効用を設計し、何を制約とするかについて考える時間は非常に長かった。市場に開いてもこれは同様であり、どういう変数がありうるかを列挙し、どこを変えることが自分たちにとって有利になるかを考えるというのはとても面白い課題であった。比較的これはソフトウェアエンジニアリングに近い。問題の構造を見い出せば、あとはどのタイミングでどう判断すべきかの問題に落とし込める。一方、考え過ぎると環境が変わってしまい、取りうるべき手も変わっていく。プロダクトにおいても同様のことが起きうるが、経営においてもまた同様である。

すべてがうまくいくわけではないが、こうした思考回路を組織的に普及させるというのは来年の課題である。

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他方、そうして経営に関する組織経済にまつわることを経済的なモデルで考えれば考えるほど、人の想い、感情、やりたいという気持ちの尊さを感じる一年でもあった。

何かを動かすとき、そこに論理的な正しさだけならシンプルである。が、何かをやりたい、なぜやりたいかわからないがやりたいと感じるとき、そこに熱意や感情がある。もちろんここに報酬があったり、経済的なメリットが将来ある可能性はあるが、それでは説明できないやりたい気持ちの大きさというのは、いつだって魅力的である。人的資本の観点から捉えれば、これは投資額によって大きくなるものでもあるかもしれない。内発的動機づけといえばたしかにそうである。しかし一語で片付けていいほどその感情の起こす創造性というのは小さいものではないように思う。何より自分はそうした個人の創造性に大きく惹かれており、それこそがテクノロジーの組織に携わる魅力であると考えている。

もともと自分がソフトウェアエンジニアリングをやったり、音楽をやっているのは、自分がそれ自体を好きなのと同時に、同じように携わるものすごい人たちを近いところで見れるからである。なんでこんな曲が作れるんだろうという想像もつかない作曲家の作品を初演させてもらったり、なんでこんなソフトウェアをつくろうとしたんだろうと想像もつかないことをやる人たちと同じコードを書いたり。そういうすごさや創造性に隣接するというのがなにより好きである。これは今年に始まったわけではなく、ずっと最初からそうだ。

そういう原点を思い出すとき、経営についても同様にそれは源泉である。ただただそこにインセンティブしかないのならそうはならない。もっともっと、なぜそれをつくるかということには、深い、事象は説明はできるが理由は説明できない、そういった源泉があり、これが何かを生み出す力であるとこの一年を通じてもなお実感を深めている。

そういう湧き出るものをもつ人たちと働く時間を、もっともっとたくさんつくりたいと思っている。

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今年は子供も生まれ、育休をとった。何をしてもかわいく、面倒をみるという日本語が示すよりもよっぽどポジティブに、喜んで面倒をみている。

なにか言葉のようなものを話してみたり、気がつけばぺりぺりとヘリをかっちゃいていたり、ころころところがってみたり。窓の外をぼーっと見ていると思えばぺろぺろとなめ、紙がそこにあればとりあえず破ってかじる。おすわりができるようになったかと思えば前にころがって頭をぶつけたり、眠そうだと抱っこしてみればやはり床に座りたいと泣いてみたりする。

昨日はこうすればうまく寝てくれたのになあ、ということが明日には通じなかったりする。どういう早さで彼のなかで環境が変化しているのだろうなあと思うと、大人とは全く違うスピードであることは想像に難くない。ころころころころとかわっていく。昨日はかぼちゃを食べたのに今日は全然食べなかったりする。そう思えばおかゆはすごく食べるようになり、でもブロッコリーは全然やっぱり食べなかったりする。決まったところもあるようで、ないようで、大変面白い。

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人一人でもこれだけかわるのだから、集合体である社会や環境も変わるのであるといい意味で諦めにもなっている。それは変わるでしょう、という楽観的な部分もある。でもどこかで目的と制約を共有していて、大きくはある一定の方向に向かっていくのも面白いところである。

ぐるぐるぐるぐると、社会の中で回りながらも、こうして毎日を過ごせていることに感謝を深めた一年だった。

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みなさま良いお年をお迎えください。