2015年11月3日火曜日

映画「セッション」を観た

去年公開されたデミアン・チャゼルの映画「セッション」。映画館で観たいなと思っていたのだけれど見そびれたのでiTunesで借りてみた。

ラストシーンが前から口コミで話題になっていたので、どういう終わり方になるのかなと楽しみに。見終わって口に出たのは「えー」だった。106分という短い時間、音楽院での厳しいレッスンのシーンが続いて、見ていて思わず苦しくなってしまう。わー、自分はああいうレッスン受けたくないなと思ったり・・。狂気じみているし、それでいてバンドの連帯感とかそういうところには一切フォーカスせずに作品を作っているのだなというのが伝わってきた。どうしてこのスパルタな教育というところに焦点をあてようと考えたのだろう。もしかして脚本を書いた人はこういう現場にいたのだろうか。などと考えながらずーっとスクリーンから目を離せなかった。

終わってからWikipediaをみるとこう書いてあった。

> デミアン・チャゼルは高校時代に、競争の激しいジャズバンドに所属し、本当に怖い思いをしたという。テレンス・フレッチャーというキャラクターにはその経験が反映されている。その上でバディ・リッチのようなバンドリーダーを参考に練り上げたキャラクターだとチャゼルは語っている[5]。
>
> https://ja.wikipedia.org/wiki/セッション_(映画) より

とあり、妙に納得したのだった。

細かいところであるが、音楽でもプログラミングでもそうなのだけれど、それだけしかやりたくなくなる。時間の余裕もなくなる。この物語から狂気を感じるのは、フレッチャーだけでなくニーマンがドラムに取り憑かれているその描き方にある。最後のシーンはコンサートにシーンだが、私が「えー」と思ったのはステージに立ったことがあるからかもしれない。という話を誰か観た人と酒の肴にしたいものである。(ということをしたいならやはり公開されてすぐに観たほうが良いのである

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