2016/05/15

働くということ

天気もよく気持ちよかったので、たまにいく近くの寿司屋さんでランチを食べた後にふらっと散歩をした。GWも原稿を書いていたので、昨日今日は比較的まったりしている。もうちょっと文章を書かないと終わらないのだけど、なかなか気が乗らないし、まあだいたい目処がついてきたし、気持ちを少しまったりさせたいなあというときがある。平日と休日のテンションが全然ちがっていて、なかなか思うように進まないということもある。

学生の頃から試験前はすごくぴりぴりしていた。とくに、中学や高校のころというのは時間に余裕がないものだった。私はサッカーを部活でやっていたけれど、日中の授業のあとにはサッカー、帰宅したら20時はすぎる。ご飯を食べて風呂に入り、すぐ勉強だ。3時間ほど勉強して、寝る。朝は7時におきて、ご飯を食べて学校にいく。いたって規則的で、限られた勉強時間に試験の準備をしていた。今日は69ページの問題3まで終わらせよう、といった具合に少しずつ進めていって、とにかく一旦範囲を終わらせておく。基礎が終わったら応用の問題を解いていって、仕上げに過去問や想定問題をみっちり解いて頭に入れる。この繰り返しだった。

今年で働き始めて5年目になった。4年働くと何が変わったのだろうか。思ったよりも日々同じようなペースで働いていて、だいたい想定した通りのことをこなしていって、勉強しつつ仕事をしていたら丸4年経っていたともいえる。ただ未だに働くっていうのはどういうことなんでしょうということはよくわかっていなかったりする。社会のためにやっているか、といわれると多少役立っているかもしれない。自分のために働いているのか、といわれるとまあそれもそうだと言える。一個人としての振る舞いとしては、毎日少しずつ何かを考えながら、少しずつ変化をしていって何かを作っていく、ということを続けている。いろんなことを知っていって、いろんなことを感じて、その上でじっくり考えて何かをつくるというのが私にとって働くということである。私はそれが面白いと思っているし、きっと働き方も、働くということも、人によって違うんだろう。そんなことを、本屋で丁寧に陳列を行っている人をみたり、お寿司屋さんで丁寧にほぐされた中落ちをいただいたり、ベビーカーでひなたごっこをしてぼーっとしている赤ん坊をみたり、ひたすら靴を磨く人をみたり、山のようにかばんにいれた白シャツを持ち込むクリーニング屋の行列をみたりしていると思うのであった。