プログラムを少しずつ書いて試すことは、多くの発見をもたらしてくれる。エディタがどう動くのか、エラーはどうでるのか、補助ツールはどう動くのか、どれくらいさくさくと動くのか、この言語はどういう特徴をもっているのか、どういう作りやすさがあるのか。ただ読んだだけではなく、自分の手元で動かすことで多くの感覚が開き、教えてくれる。
やってみたことがないものを話すのは難しい。やってみたことがないものは、自分の感覚からくる言葉に変えることができない。
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最近息子が歩きはじめた。まだ5,6歩進むのがやっとだけれど、歩くのが楽しいらしく、にこにことしている。うまく受け身をとれずに顎を床にぶつけて唇を切ってしまったり、ひざをあちこちにぶつけたりと怪我も多い。けれど歩けるのが嬉しくて、にこにこして歩いている。
大人は歩けることの嬉しさを普段感じるだろうか?散歩をして気分転換をする日はあれど、歩くたびににこにことすることはない。
子供が歩けるようになるのと同じように、新しいことをやってみるのは常に楽しい。やったことのないストレッチをしてみたり、いったことのないお店に行ってみたり、乗ったことのない車に乗ってみたり。その嬉しさの振幅は年々増えているだろうか?それとも減っているだろうか?
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それが新しいものなのか、変わらないものなのかを感じるのもまた個に依存する。全く同じことをやっているようにみえても、全く同じ日はない。同じような機能を作っているように見えても、別のチームなら別の課題であり別の面白さがある。同じように歩いているように見えても、全く同じ散歩はない。
60年後に自分はものを新しいと思えているだろうかと思った一日だった。