2020/12/24

2020年を振り返る

今年はコロナの年だった。遠くに行くこともなく、ほとんど家で仕事をし、たまに天気のいい日だけ渋谷のオフィスに立ち寄った。新しい人と会う機会がぐっと減り、とはいえ旧交を温めるでもない。普段からWebの世界で仕事をしているので影響が少ないだろうと考えていたが、意外な出会いや発見、予期しない問題とそれによる面白さが減ってしまった年でもあった。

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仕事について。今年の前半は2月20日ごろから在宅で働き始めた。もともとチームでもGitHub, Slack, Backlogを使ったツールを使ったやりとりが中心であり、開発はほぼスムーズに進んだ。社内の情シスでもVPN関連の使い勝手改善をしてくれ、春頃には随分快適になった。自宅へのディスプレイ手配や作業用PC環境などもすぐに揃い、総務や情シスの皆様に感謝しつつ仕事が回り始めたのが2月3月であった。開発自体も大きめの機能開発がいくつか走っていた。今年一年は今までで最も機能のアップデートが多い一年だった。オフィスへの移動、余分な会議が減ったことにより、長く開発に集中できる時間が増え、設計や開発、テストにかける時間が十分に取れたのは今年の収穫だった。

ただし別の課題があった。個々のパフォーマンスのブレが大きくなった。オフィスで働いていたときにも集中してプロダクトコードへコミットを続けていたエンジニアはより多くリリースをした。しかし、オフィスでのなめらかなリマインドと軌道修正がやりづらくなったことによる影響の多いエンジニアはアウトプットが出づらくなった。これまでチームとしてはオフィスに頼っていて、そこら中にあるホワイトボード、あるいは座席でのちょっとした会話(これは特に営業・コンサルタント・オペレーションなど様々な役割の同僚とのちょっとした会話であり、まだ問題が定まっていないものや、あるいはリマインドも含まれる)によって成り立っている部分が多々あった。これが在宅勤務により顕になった。

より大きな課題は半年ほど経つと見られた。会社やプロダクトとしての推進力がより一層偏ることだ。プロダクト戦略・そして会社としての方針、マーケットの状況、そして最も大事な顧客の課題。オフィスでさえうまく拾えていないものは、オフィスにいなければさらに拾いづらくなった。物理的な場所にいれば大きな受注があればざわつきで察するし、何があったのかすぐに聴ける。いまでもSlack、Google Docs、Kibelaなど、社内で情報を共有することはしているが、見られない。見られなくなってしまっていた、悲しいほど。かなりコアなプロダクトを開発していて、顧客ペインを解消し、価値を生み出していたメンバーでも、全体としての会社方針への関心がどんどん薄れてしまっていた。最大の危機感であった。

こうした状況をうけて、まず自分の言葉で丁寧にそれぞれの施策、これらに結びついた背景を、さらに噛み砕いて文章として伝えることに多くの時間を割いた。これらはもう説明しているし、すべてのメンバーに自明だと思いこんでいた。でもそうではなかった。なぜこれらの機能が作られたのか、それはそもそも現状のアーキテクチャがこうで、顧客のペインがここにあり、競合がこうしていて、事業構造がこうなっている。であるから、収益構造上ここはまだアプローチの余地があり、そのためにこのプロダクトアーキテクチャを変えて、変化をさせやすくしつつ、新しい機能を盛り込む。ハックの余地が生まれていないならまずは数字をとって計測可能にしつつ、継続してみてもらう(オブザーバビリティを設計する)。個々の部分はそれぞれ実行してくれているメンバーがいるが、すべての会社の取り組みについてこれらを言語化することは誰もできなかった。あるいは書いた文章にだれもたどり着けなかった。自らを中のひとに説明できずにいて、どうして顧客にそれを説明できようか?そしてどうしてよいソフトウェアがつくれようか?なぜ理解できないものに面白さが生まれようか?こうした当たり前の課題をコロナは叩きつけてくれた。今年は自分で開発する時間よりも、要望を拾い、プロダクトとして何が実現されればこれを効果的かつ発展的解消でき、投資に見合うか、ということをひたすらにやっていた。考える力のないチームが伸びるはずがない。今年の仕込みが、来年以降の成果に結びついてくれることを願うばかりである。

私達はツールを使っていれば物事がうまくいくと考えすぎだった。日々のつぶやきをすべて見るほどみんな暇ではない。一度のアナウンスですべてが理解されるわけではない。繰り返し繰り返し伝え、わかりやすく噛み砕き、理由を理解し、自発的な行動が伴う(これは火が付くようなこと)状態までチームが変わるようにしなければ何もかわらない。そして何度説明しても全部理解されることはないが、少人数のチームであれば理解度を徐々に醸成できる。オフィスに頼っていたのではなく、ただ伝えることを怠けていた。理解が伴えば新たな考えが生まれ、自然にプロダクトに組み込まれていく。理解がなければただの作業になってしまう。人が理解をしてなにかに取り組んでいるのかどうかを知るにはその人を見ること。

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今年も世界のインターネット広告はとんでもない速さで変化をとげていて、(これは本当に、コロナ環境下でも多くの変化があった。対外的にみてもITP / ATTはもとより、GDPRとTCF回り、そして何よりブラウザがどんどんプライバシーを守りつつ安全なWebを実現するために多くの進化をしている。)Webについて考えを巡らせた一年でもあった。変化するときに新しい機会が生まれる。1インターネットユーザとして、そして事業者として、メディアが持続可能であり、ペインを減らし、広告という嫌われがちな位置づけのプロダクトが何を世に成せるのか?ということを今年も考え、実行した。Privacy Sandbox、Project Rearc、SkAdnetworkなど、次のディスプレイ広告の方向性を考える材料が多く出た。これを受け、自分たちは何ができるか。もっと大きな影響力と、推進力をもたなければ物事を変える力にはまだまだほど遠いなと思う一年でもあった。それと同時に、ユーザを守り、これを仕組み・仕様・そしてプロダクトを世に出していくという力の大きさを、IAB、Google、Apple、Facebookをはじめ、巨大なプレイヤーとプロダクトマネジメント、エンジニアリングチームから感じた。彼らの物事を変える力は本当にすごい。ユーザの便益を最優先に必ずしつつ、経済を設計し、複数事業者が連携可能なプロトコルを提案して仕様とする。お互いに競争関係にあるけれど、世界がよくなるように提案をして実装してローンチしてくる。自分自身同じ1年を過ごしているはずなのに、世の中に出しているアウトプットが全く違う。もちろん細かい部分をみれば質が低い部分はあるのだけれど、大きな方針でプロダクトをつくっていく力の強さというのを今年ほど感じた1年はなかった。

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もう少し個人としての振り返りを残す。年々答えのわかる問題をプロダクトとして解くことが上手くなってきた。また、答えのわからない問題(そもそもその問題がくるかどうかもわからないようなもの)を解くための仕込みの精度があがってきた。先んじてこういうデータを取っておいたからすぐに判断できる、先んじてこういう設定ができるようにしたから組み合わせてこの問題にも対処できる、といった具合である。それら自体は一機能であるが、要望に対するプロダクトの打率をあげられたのが今年の成果であった。こういう成果だ、というのは言いやすいのだが、なぜ今年はそれがうまくできたのか、というのは実は自分でもあまりちゃんと理解できていない。やはりプロダクトと事業を両方よくみていれば、次はこうしたらいいというのがでてくる。1つ1つの開発の合間に、この一手間をかけられる余裕と能力とオーナーシップがチームにあったからうまくいったのではないか、と思っている。来年はこうしたメンバーをまた増やしていきたい。

しかしまた、新たな問題を見つけて解かなければなとも思っている。広告はWeb技術と収益が直結し、技術も詰まった相変わらず面白い領域である。このモデルを他に転用し、新たな機会を創出できるというのを今年も幾度が話をした。需要と供給をプログラマブルに扱う(あるいはまだプログラマブルではない)市場が多くあり、広告に限らず値付けと落札がある。一言で言えばアドサーバ(動的な値付けと在庫予測、任意のリクエストをレポーティング、自由な入札方式、クリエイティブの制御可能性、オペレーション可能な要素の多さ)の転用である。RTBは事業者が同時に進化できる仕様をつくった。平たく言えば、値付け可能でないものを値付け可能にする、固定値付けのものを変動させる、値付けに競争関係を導入する、といった段階がある。ここ10年でこれらがタクシー、宿、フードデリバリー、不動産、証券、個人間取引、などで一気に進んできた。まだ見えてないものが値付けされ、取引され、競争による個人への便益への転換というのを繰り返すはずである。ダイナミックプライシングの事業者は多くあるが、制御のコアとなるアドサーバ部にはまだまだ多くのペインがある。こうした課題は多くの人にとって「まあそうだろう」という感のあることと思う。鳥瞰の目をもつこと。

最近はコードを書いたり機能設計をしていても、それがまるで広告ではないようにコードを書いている。まったく変な話だが、例えばこれが飛行機の値付けに使われていようが、北海道の畑で取れた玉ねぎの値付けにつかわれようが、スーパーの在庫管理でつかわれようが、まあ似たような課題があるのだろうなと勝手に考えながらコードを書いている。仕事では理由付けを問うが、自分が好き勝手に空想しながら楽しむのは自由である。昔からチラシやら本を読んで勝手に頭の中でシステム設計をするのが好きなのだが、大学のころに経済学の授業を受けてから需要と供給、あるいは値付けの妥当性について何を入出力にするのかを事業として考えるのが趣味となっている。事業のエンジニアリングをしていると、そうした大学のころに拾った物事について地に足をつけて考えられるようになってきたなと思いつつ、来年このメモを見返して考えの浅さに反省する、といった年になっていればいいなと思う。