2022/02/24

仕事の引き算

いつからか、どうしても仕事というのはできればできるだけやってしまう。これは癖だ。あ~もうちょっと手を抜きたいな~と思っても全力でやってしまう。「これぜひお願いしたいなあ」なんていわれるとどうしてもやってしまう。

このままではいけないなあと思ってもいるが、自分が仕事を頼む側なら快く引き受けてくれた人には感謝をするし、そのあとも一緒に仕事をしたくなる。とはいえ全部をうけているとどうにもこうにもまわらない。じゃあどうするか、と考えて最近やっているのが「そもそもこの役割は必要か?」というのを都度ある毎に考えている。もともとなにかソフトウェアエンジニアとして機能をつくるときに「そもそもこれ必要?」とよく考えていたので、これまた癖である。まあでもきっとおおよそ一緒であり、「なんとなく必要と思ったので・・」みたいなものが案外増えてしまう。

そして枝を刈り枝を刈り、すっきりとした木にしていく。あーさっぱり。なにやら残ったものは必要そうな仕事だぞ、ということでこれを全力でやっていく。

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まあしかし、なんでこうも枝が増えていくのかなあと妄想する。妄想するのも仕事である。暇があると、いや暇がないときのほうが妄想が捗る。社会をまわしているのはこういう枝なんじゃないんだろうか。そのお手紙いる?そのペンの色いる?その音楽必要・・?なんていっているとなんて味気ないことだろう。たっぷりとした暇な時間が人生を彩るんじゃないか・・なんてことを巡り巡って考えている。

いや、違うんだ、自分も暇になって、時間を穏やかに過ごすためにそうやって枝刈りをしているんだよ・・と思いながら、なにかいろんなものを余白に詰め込んでしまっていく。

余白をつくるための枝刈りが、余白を埋めていく。

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ウクライナ危機のニュースが聞こえてくる。自分は自宅。どうも現実感がない。テレビの向こうで軍事行動が流されている。Twitterがざわつく。気になって仕方がない。

でも次の瞬間には自分の目の前の仕事、目の前の人達に意識を向けている。遠いものは意識の外へ、枝になってしまう。枝を見ない。枝を刈る。いや・・それでいいんだっけ?と思う波がやってくる。