2023/01/31
東急本店の思い出
2023/01/30
Mac miniを買った
Mac miniを買った。リビング用である。
仕事は自室でしている。自室には仕事用のMacBook Proと、プライベート用のWindows PCがある。最近は息子がリビングにいるので、リビングにいる時間が長い。またテレビにつなぎながら家族であれこれみるにはPCがあると勝手がよい。
「あの店どんな雰囲気だろうねー」とか「こういう棚ほしいよねー」と話しながら、画像を見せられると話もしやすい。
自分がはじめてさわったPCは自宅にあったWindows 95だった。その前でいうとワープロがうちにあり、それでタイピングして遊んだり、ソリティアをして遊んだりしていた。なんという名前のマシンだったのかは覚えていないけれど、その時からタイピングするのは好きだった。もともとは父のマシンだったはずだが、自分があれこれ遊んでいるうちに家族みなで触るようになった。一度フロッピーディスクを出来心でフォーマットしてしまったことがあり(「このフォーマットってなんだろう・・?」と押してみたのであった)、住所録を消すという事件を起こしたりした。
最近買ったMac miniも、いずれは息子のおもちゃになるのかなーと思っている。リビングなり、見えるところで使えるし、ちょうどよいのではなかろうか。Mac miniははじめて買ったのだけど、小さいし、手頃な価格だし、端子もあれこれあって便利である。
タブレッドやスマホも便利なのだけど、やはりなにかしら作るとなるとパソコンを使えるとなにかと楽だ。自分は文字を打つのが明らかにキーボードがあったほうが楽なので、すぐにパソコンを開いてしまう。いずれタイピングをするのはごく少数の人になってしまうのかもしれないが、まだしばらくはキーボードは残るのではないか・・と思う。まあでも個人のブログなんかは音声で入力したほうが早そうである。
自分がインターネットに触れたときのように、同じように喜びを感じるのだろうかと想像している。もしそうなれば嬉しい。
2023/01/28
エレベーター
ベビーカーを押して移動するようになると、エレベーターによく乗るようになった。
休みの日はもっぱら買い物やらご飯やらで外にでる。駅の近くのスポットにいくにはやはり電車が楽だ。二子玉川や、都心のほうにいくときはたいてい電車である。
一人で動く分には何も気にすることはない。階段をえいやとくだり、電車に飛び込むようにのっても問題はない。しかしベビーカーを押しているとなるとまったく別世界である。まずエレベーターの場所を把握する。並んでいれば待つ。もう一度改札からホーム行きのエレベーターに乗る。またそこでも待つ。電車も車両によってベビーカースペースがあることもあれば、表示があってもあくまで優先席しかなかったりする。「この場合はどうする」の分岐がとても多い。
また、時間帯にもよって混み具合も変わる。平日の朝と夕方は通勤で混み、休日の昼過ぎもやや混む。平日朝は都心方向の場合は混むが、逆はそうでもない。そういう具合に方向と時間帯の組み合わせで混み具合が変わる。また休日は比較的後方車両が空いている。
そこまで把握してもなお、時間どおりには動けない。まあそういうものだと思うのがよさそうである。はじめておりる駅の場合はなおさらで、そもそもエレベーターの場所を調べることからはじまる。
ただどの駅に行っても、ちゃんとエレベーターがあるのはありがたい。そしてどの駅にいっても、足腰が不自由だったり、わたしたち同様にベビーカーを押している方々がいる。「ああ、お互いさまですね」といった具合にドアをあけてくれる。そういうちょっとした優しさがありがたい。
「あーここでもうひとり乗ったらきつそうかな」と思えば、ひとりは階段で、ひとりはベビーカーとともにエレベーターへ、という具合の調整もされる。「ちょっと俺歩いていくわ」という声掛けがあちらこちらでされる。なれたものである。ある種のプロトコルともいえるかもしれない。
そういうやりとりも日常になってきたけれど、一年前はまったくそんなやりとりがあるとは気づきもしなかったものである。見ているようで、見ていないものがたくさんある。
2023/01/21
「禅と日本文化」を読んだ
最近はよく風呂に入るときに本を読んでいる。長くても30分ほど。この本はそこで読み、1ヶ月ほどかかってしまった。
タイトルのとおり、禅の観点から日本文化について語られている本である。書店の戸棚にあるのをみて、なんとなく惹かれて手にとってみたのがきっかけである。
日本における他の宗教に関しては触れられている部分は少ない。しかし、自然をどう感じるか、武芸、茶に関しての考察については専門外の自分でも十分に楽しめる内容だった。そもそももとが洋書で、出版されたのが1950年代。戦後、英語圏から日本の文化を考察する入り口として、この本があったことの影響は大きいだろうと感じた。「菊と刀」よりもより具体的であり、かつ欧州の詩や文学との比較も豊富だし、より日本文化と禅についてミステリアスな印象を与えたのだろうなあ・・と想像しながら読むと楽しい書籍だった。