2023/01/31

東急本店の思い出

渋谷の東急百貨店本店が今日閉店した。仕事終わりについ足を伸ばし、最終日の店内を見てきた。普段はがらんと空いているのに、今日はまるでこの百貨店が今日オープンしたてなのかと思えるほどにお客さんでいっぱいだった。

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自分が上京してからというもの、渋谷に行くことが多かった。特に丸善ジュンク堂ができたからは、暇があれば本を探しに足を運んでいた。勤めはじめて渋谷が拠点になってからというもの、もっとも通った店である。

東急本店というのは不思議な場所だ。賑やかな渋谷とは違う、静かな店である。混んでいるのを見たことがない。いけば7階の丸善ジュンク堂で本を物色し、8階のDEMIでハンバーグを食べたり、永坂更科で蕎麦を食べたりした。8階はBunkamuraとエスカレーターでつながっており、お洒落をしたお姉様方や連れの子どもたち、または品のよい年配の方々がよく歩いていた。

丸善ジュンク堂ではよく本を買った。うちにある本のほとんどはそこで買った本である。ハヤカワepiを右から左へ買い漁り、文庫版の古典を読み漁り、ウェブやデータ関連の技術書をめくり、目ぼしい組織運営の書籍があれば手にとってよさそうならひとまず買っていった。いまも机の脇には10冊ほどの積読本がつまれており、これらもすべてここで買ったものだ。ここ2,3年はオフィスに行く機会も前より減ったので、渋谷にいく機会があれば昼休みにここに立ち寄り、そのときどき仕事での考え事に壁打ちしてくれる本を選んでいた。電子書籍も使うが、僕が物理本や本屋が好きなのはこの店の影響がとても大きい。

ここの本屋はとにかく古典がたくさんおいてあるのが良い。もちろん話題の書もあるが、むしろ古典をちゃんと棚に並べてくれており、かつ平置きされている本もまたよく練られている。同じ著書の別の出版社の本があれば、それもまた別の区画にまとめて時期ごとに並べられており、趣向の変化を感じることもよくあった。

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ここ最近は家族でいくこともふえた。渋谷にあって、車で行きやすく、ベビーカーを押しやすい店というのはここくらいしかない。

屋上でアネモネの苗やチューリップの球根を買ったり、6階のファミリアでベビー服をのぞきつつ手が届かないような値段のお皿を眺める。年末にいけば、正月にしかつかわないであろう重箱が売っていたりして面白い。ベビーコーナーもあり、授乳室にもよくお世話になった。地下では一保堂のほうじ茶をよく買っていた。伊藤園の茶寮でも甘味を食べつつ休むこともあった。来るたびに魚力は必ずチェックして、値ごろなものがないかみていた。ぶり、マグロ、いかの刺し身などをあまり高くないものを探した。明治屋でタカキベーカリーのパンと、なにか珍しい調味料があれば買ってみていた。出店でパエリアやたこ焼きを買うこともあった。焼き鳥もたまに買った。さあ帰るかと思ったら銀座若菜でなにかしら漬物を1つお買い上げする、というのが決まりのパターンだった。新館よりではなく本館側に車を停めるとここの前を通るのである。

何をするにも静かで、盛り上がりとは対局にある店だった。なぜ続いているんだろう、やはり松濤の常連客がたくさん買っているからじゃないかねえなんて話をしながら、自分たち家族もすっかりファンになっていた。最初大学のころに本屋目当てに訪れてから、まさかこんなに足繁く通う場所になるとはなあと思う。

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建て替えられ、新しいビルになるとガラスばりの、おおきなビルになる。きっと便利になるし、時流にあったテイストになるのだろうなあと予想している。でも少し、この東急本店の残す、昭和っぽい雰囲気がなくなるのはやはり寂しいなあと思うのが本心である。古びているし、明るくもないし、人も来ていないし、しかし落ち着いている。そういう場所はどんどん、人の集まる場所からはなくなっていくのだなあと、当たり前のことを思いながらやはり少し寂しいなあと思ってしまう。そういう魅力のあるお店だった。

店員のみなさま、運営に携わられていたみなさま、大変お疲れ様でした。お世話になりました。

2023/01/30

Mac miniを買った

Mac miniを買った。リビング用である。

仕事は自室でしている。自室には仕事用のMacBook Proと、プライベート用のWindows PCがある。最近は息子がリビングにいるので、リビングにいる時間が長い。またテレビにつなぎながら家族であれこれみるにはPCがあると勝手がよい。

「あの店どんな雰囲気だろうねー」とか「こういう棚ほしいよねー」と話しながら、画像を見せられると話もしやすい。

自分がはじめてさわったPCは自宅にあったWindows 95だった。その前でいうとワープロがうちにあり、それでタイピングして遊んだり、ソリティアをして遊んだりしていた。なんという名前のマシンだったのかは覚えていないけれど、その時からタイピングするのは好きだった。もともとは父のマシンだったはずだが、自分があれこれ遊んでいるうちに家族みなで触るようになった。一度フロッピーディスクを出来心でフォーマットしてしまったことがあり(「このフォーマットってなんだろう・・?」と押してみたのであった)、住所録を消すという事件を起こしたりした。

最近買ったMac miniも、いずれは息子のおもちゃになるのかなーと思っている。リビングなり、見えるところで使えるし、ちょうどよいのではなかろうか。Mac miniははじめて買ったのだけど、小さいし、手頃な価格だし、端子もあれこれあって便利である。

タブレッドやスマホも便利なのだけど、やはりなにかしら作るとなるとパソコンを使えるとなにかと楽だ。自分は文字を打つのが明らかにキーボードがあったほうが楽なので、すぐにパソコンを開いてしまう。いずれタイピングをするのはごく少数の人になってしまうのかもしれないが、まだしばらくはキーボードは残るのではないか・・と思う。まあでも個人のブログなんかは音声で入力したほうが早そうである。

自分がインターネットに触れたときのように、同じように喜びを感じるのだろうかと想像している。もしそうなれば嬉しい。

2023/01/28

エレベーター

ベビーカーを押して移動するようになると、エレベーターによく乗るようになった。

休みの日はもっぱら買い物やらご飯やらで外にでる。駅の近くのスポットにいくにはやはり電車が楽だ。二子玉川や、都心のほうにいくときはたいてい電車である。

一人で動く分には何も気にすることはない。階段をえいやとくだり、電車に飛び込むようにのっても問題はない。しかしベビーカーを押しているとなるとまったく別世界である。まずエレベーターの場所を把握する。並んでいれば待つ。もう一度改札からホーム行きのエレベーターに乗る。またそこでも待つ。電車も車両によってベビーカースペースがあることもあれば、表示があってもあくまで優先席しかなかったりする。「この場合はどうする」の分岐がとても多い。

また、時間帯にもよって混み具合も変わる。平日の朝と夕方は通勤で混み、休日の昼過ぎもやや混む。平日朝は都心方向の場合は混むが、逆はそうでもない。そういう具合に方向と時間帯の組み合わせで混み具合が変わる。また休日は比較的後方車両が空いている。

そこまで把握してもなお、時間どおりには動けない。まあそういうものだと思うのがよさそうである。はじめておりる駅の場合はなおさらで、そもそもエレベーターの場所を調べることからはじまる。

ただどの駅に行っても、ちゃんとエレベーターがあるのはありがたい。そしてどの駅にいっても、足腰が不自由だったり、わたしたち同様にベビーカーを押している方々がいる。「ああ、お互いさまですね」といった具合にドアをあけてくれる。そういうちょっとした優しさがありがたい。

「あーここでもうひとり乗ったらきつそうかな」と思えば、ひとりは階段で、ひとりはベビーカーとともにエレベーターへ、という具合の調整もされる。「ちょっと俺歩いていくわ」という声掛けがあちらこちらでされる。なれたものである。ある種のプロトコルともいえるかもしれない。

そういうやりとりも日常になってきたけれど、一年前はまったくそんなやりとりがあるとは気づきもしなかったものである。見ているようで、見ていないものがたくさんある。

2023/01/21

「禅と日本文化」を読んだ

最近はよく風呂に入るときに本を読んでいる。長くても30分ほど。この本はそこで読み、1ヶ月ほどかかってしまった。

タイトルのとおり、禅の観点から日本文化について語られている本である。書店の戸棚にあるのをみて、なんとなく惹かれて手にとってみたのがきっかけである。

日本における他の宗教に関しては触れられている部分は少ない。しかし、自然をどう感じるか、武芸、茶に関しての考察については専門外の自分でも十分に楽しめる内容だった。そもそももとが洋書で、出版されたのが1950年代。戦後、英語圏から日本の文化を考察する入り口として、この本があったことの影響は大きいだろうと感じた。「菊と刀」よりもより具体的であり、かつ欧州の詩や文学との比較も豊富だし、より日本文化と禅についてミステリアスな印象を与えたのだろうなあ・・と想像しながら読むと楽しい書籍だった。