2018/12/31

2018年を振り返って

2018年も大晦日となりました。この年末年始は正月から北海道に帰省するため、今日はゆっくり東京の部屋で過ごしています。

仕事について。この1年もまた同じチームで広告システムを作っていました。素晴らしいメンバーに恵まれ、過去最高と言えるチームでエンジニアリングをできたことは今年最大の喜びでした。去年の振り返りでも書いているとおり、どのような問題を解き続け、自分たちのプロダクトを成長させることに取り組んだ一年でした。メンバーの成長と満足度、そして自分自身も日々いかに前進していくかということに苦心した年でもありました。社内外、信頼できる多くの人と議論をし、考え、行動する時間をいただけたことは実りある一年を形作ってくれました。直接的な仕事だけではなく、私の考え方や生き方に影響を与えていただいたすべての方々に感謝します。

年々取り組んでいる物事について自分自身で決めなければならない比率が高まり、ほとんどの物事は自分で決めて進め、決断し、実行するようになりました。その中で思うような方向にいかなかったり、考えていることが正解かわからないといったことが増えるようになりました。プログラミングにはテストを書くという行為があります。テストというのは「何を受け取り、何を返すか」をいくつものパターンにわたって書きます。この入力と出力の予測をすることがプログラムを書く仕事の最小の仕事です。年々、ただこの仕事が乾いたピラミッドの石材のように積み重なり、あるいは穴をほって掘り崩し、どういう力のかかり方がそれぞれの部位にかかるのかを予測する時間のほうが増しています。思考の訓練として、周囲のピラミッドをつくっている人々やプロダクトを眺め、どんな石の積み重ね方をしているかを想像します。石を掘る技術と積み重ねる技術と、どれだけの石が必要でどの程度の手数が必要でどれくらいこのピラミッドが必要かというのは表裏一体で面白い課題です。今年の私はメンバー全員が両方をできるチームが強いと信じ、どのようにこのプロセスを自然に分割されるようにするかということを思索していました。答えはでていませんが、去年よりもうまく物事が進むよう、来年も試行錯誤していきます。

考えることについて。今年もまたよく読書をした一年でした。読んだことのなかった新しい作者、特にSFの古典ともいえるオーウェルやハクスリー、ゴールディングによって世界が広がりました。年々考えることと言葉の関係性について気づき、自分の言葉の浅さを省みていますが、今日読んだ「孤独の発明」(ポール・オースター著)において子供の言葉遊び(evil / live)があったりして思わず今年の自分を見ているようで笑ってしまいました。何かが深まったようで、自分の頭の感触ではまだ何も身になっていないと感じられていません。明晰かつ深く思考を重ねられるよう、来年も向き合っていきたいと思います。

また来年も皆様にとって良い年になりますように。


2018/12/27

ゴルフを始めた

グレイス・ペイリーの「人生のちょっとした煩い」を読みに自転車でオブスキュラに向かっていたら、冬はどこへいったのか秋空で心地よい。帰宅してすぐに打ちっぱなしへ。rebuildの224とEMFMの最新回を聴きながら50球ほど打ってきた。

今年の初チャレンジの1つといえば、ゴルフを始めたことである。父が昔からゴルフをやるので自分も小学生の頃に1,2回打ちっぱなしにつれていってもらったが、結局それっきりやっていなかった。北海道は冬になるとゴルフはできないので雪山でスキーにいくというのもあり、私も部活でサッカーをしていたのでゴルフとの縁はしばらくなかったのである。それがまたよく遊ぶ後輩がゴルフに行こうというのであれよあれよというまに神宮球場裏手の打ちっぱなし場へ連れて行かれ、つい先々週にはちゃんとしたゴルフコースへいって18ホールまわってきたのだ。まさか自分がこの歳になってゴルフをやるとはなあと思いつつ、20年前の記憶ではクラブを振ってもあたらなかったのが案外あたるものだなあと神宮で思ってからは気がつけば毎週練習場へ自転車でふらふらっと向かい、リフレッシュがてら練習するのだからわからないものである。

ゴルフというのはどうやら大変難しそうなスポーツだという印象があったのだけれども、当たると球が飛んでいくのは楽しい。ある物体を物理的に遠くに飛ばすというのはそれだけでなにか面白さがあるようだ。ゴルフ練習場というのは滑稽で、良い年をしてばりばり仕事をされているであろうおじさんも、近所から歩いてきたであろうご老人も、はたまたゴルフサークルに入っているであろうピカピカのゴルフグッズを揃えている女子大生も黙々と同じ方向を向きながら球をひたすらネットに向かって打ち込み続けるのである。球を遠くに飛ばすことで何かを生み出している工場のようにも見えるし、人々が取り憑かれるように球に集中する様が目黒の住宅街にあるというのもまた面白く、気がついたら自分もその中にいたという具合である。

全く新しいものをするというのはこれもrebuildでhigeponさんが「毎月1つ新しいチャレンジをする」ということを話されていて、ああそれはある程度年を重ねてきた自分にも当てはまるなと脳裏のどこかにあり、いろんなタイミングやら気分がはまってやっと始まったものだ。仕事はロジカルで、でも定量的には話せないものが増え、それをあえて数字になおして達成したかしてないかというような自分たちで決めた塩梅を楽しむようなところがある。ゴルフというのは最初から数字が先にあり、道具も多く、技術も必要で、結果がすぐにでるスポーツだ。初めていったラウンド(ゴルフのコースを回ることをラウンドというらしい。つまり回るということだ。こういう単語がゴルフにはたくさんある。エンジニアリングや広告用語もいっしょかもしれない。)では159という数字になった。まずは100を切ろうというのが万人の目標なので、それを超えるしかない。ゴルフでは数字が低いほうがよく、すべてのホールでPar(ホールごとに規定された打数でカップにいれること。)だと72となる。ゴルフに大人のスポーツという印象があるのは、仕事で数字が見えづらいものごとを扱う人たちが余暇に数字で遊びつつ体をリフレッシュさせながら自然(ゴルフ場が自然か?という問いかけには大変疑問があるが、渋谷の道玄坂の繁華街を抜けたビルで過ごしている身としては十分といっていいほど自然である)で長い時間を過ごせるというのは合理的だという点から来ているのだろう。

2018/12/24

未必のマクベスを読んだ

年の瀬に小説をと手にとったうちの一冊が「未必のマクベス」だ。

平凡な会社員たる優一が重層的にタイ、香港にまたがる高校時代の友人たちとのつながりの延長線に企業内の思惑にかき乱され、マクベスでの「王」に染まる物語だ。いくつもの仕掛けがあり、全体としてとても引き込まれた。

* 鍋島の行く末、伴の着丈さと行動指針、高井の変化。リンファ、リー、由記子、森川、陳といった素晴らしいキャラクターたち。特にリーは物語に重みと広がりをもたせている。
* 東南アジアの都会特有の肌にまとわりつくような夜の描写と怪しさ。何より優一の移り変わり。
* 事件から始まる企業と人間の関わりの紐解きの段階、伴との信頼の描き方。

解説でもあるように、犯罪小説であり恋愛小説であり経済小説でもある。取り上げられている暗号それ自体に関する記述は多くなく、どちらかというと企業が人間を異様に変えてしまうのがこの小説の最も奇妙で面白いところだと感じた。

題名にもあるシェイクスピアの「マクベス」は度々モチーフとして取り上げられる。これがまた小説全体における魔性めいた奇妙さを影から形成している。最初は犯罪小説を読んでいたが、最後は戯曲を読んでいた。